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2017年02月09日

聚富橋

2002年4月12日のうろうろ④
 「浅羅賀橋」を越えてしまえば「石狩河口橋」まで一直線だぁ!と思ったらさにあらず・・・
 台地を超えたところに橋がありました。「知津狩橋(しらつかりはし)」です。渡る河川は勿論「知津狩川」。北海道にはアイヌ語由来の地名が多いのですが、似たような名前を今思い出すと、道南に「シロリカ川」に架かる「白糠橋」があるし、「白糠町」という町もある。雨竜町と新十津川町を分けるのが「オシラリカ川」だったような・・・。そういえば、どことなく風景が似ています。「知津狩橋」の写真を撮っていると、ちょっと下流に「旧知津狩川」河川表示板が見えます。行ってみました。なんとなく頭にひっかっかったので車に戻って地図を見ます。この川の上流には旧石狩油田があったようです。戦争で焼失したらしいのですが、へぇ北海道に油田ねぇ~と頭に引っかかった事があったのを思い出したのです。
 さて今回の橋もあと二つ。河川改修が行われてとても奇麗になった名前のわからない川に架かる「新開地橋」と同じように川の名前のわからない「聚富(しゅっぷ・しっぷ)橋」ですあの頃はこの橋を渡ると厚田村から石狩市に入りました。写真をを見るとそれぞれカントリーサインが見えます。台地から降りてきてスピードを出しやすいので、ゆっくりゆっくり帰りました。
聚富橋
「聚富橋」
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年02月08日

望来橋

2002年4月12日のうろうろ③
 「望来」は難読地名なのだろうか?「もうらい」と読みます。北海道石狩市にある地名です。
 さて、「望来大橋」を過ぎて望来川沿いを札幌に向けて進みます。なだらかな丘陵地です。次に出会うのが「瑞穂橋」。そしてすぐに「望来橋」です。ここで川は海に注いでいきます。
 いつの頃かわかりませんが、このどちらかの橋が工事していた記憶があります。「瑞穂橋」の歩道橋併設工事だったもしれません。2002年の写真には両方の橋に歩道橋があるようですから、もっと前かなとも思えます。札幌近郊を抜けるのは仕事を終えてからなので、存外夜中に走ることが多かったのです。記憶が混乱しています。
 さて、望来地区の最後の橋が「浅羅賀橋」です。読みは「あさらかはし」河川名は「正利冠川(まさりかっぷかわ)」。ここを過ぎるとひと山超えて聚富(しゅっぷ・しっぷ)地区に入ります。今思うと「浅羅賀橋」の近くに郵便局があるのですが、ここで友人に何か送った(手紙?)記憶があるのですが・・・何を送ったか記憶が定かでないのが気になります。こんど会ったら聞いてみることにしましょう。


「望来橋」
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年02月07日

望来大橋

2002年4月12日のうろうろ②
 ①の「厚田橋」をカメラに収めて、海からちょっと離れた国道231号線を戻っていると、本格的に今年も始まってしまったなぁ・・・と思った。
 仕事も忙しいのになんて無謀なんだろうとちょっと反省。そんなこと考えてるうちに、古潭地区に入って渡ったのが「新古潭橋」。そばに「ふれあいセカンドスクール」と書いてある建物(体育館?)があった。このブログ書いていて気になったので調べてみたら、15年の歳月を経て今でも存在しているようで、検索にヒットした。しかし、なんの施設かよくわからなかった。15年たってもあるようで少し嬉しくなった。
 今日の表題の橋「望来大橋」。大橋の基準てなに?って感じの普通の橋。つい室蘭の「白鳥大橋」と引き比べてしまった。きっと国道231号線を繋ぐうえでのいろいろな歴史があったんだろう。橋の架かる望来川はこれから望来地区の中を流れていく。
 ここで突然友人の誕生日を思い出した。バースディカードでも送ろうと、周囲を見回すも店なんて無いし...、とりあえず先を進めることにした。

<望来大橋>
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年02月05日

厚田橋

2002年4月12日のうろうろ①
 勇み足でスタートしたこの年は、本格的にはこの4月12日から始まった。
道東白糠町までの走りはなかなか体にこたえたようで、まずは近場へ、車中泊はなく日帰りで・・・ということで近隣へ向かう。
 今となっては隣の自治体なのだが、2005年の市町村合併で石狩市となった厚田村(現石狩市厚田区)である。実際はもっと北を目指したのだが、厚田港を見下ろす高台の駐車スペースで海を見ながらまだ寒いなぁ・・・と力尽きた(笑)。
 さて、ゆるゆる戻りながらの橋探し、まず渡ったのが厚田川に架かる「厚田橋」。街なかにはすでに雪は無く、かといって若草萌え出すにはちと早いという風情。橋がちょっと長い、この川昔は増水したのかもしれない。

厚田川左岸からの厚田橋
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年01月14日

観月橋

2002年3月29日のうろうろ③
 とりあえず目的地「馬主来」に着いて橋の写真を撮ったのだが、せっかく白糠町まで来たのだから、国道274号線の続き具合でも見て帰ろうと、国道38号線を左に折れた。乗った道は国道392号線。途中に見つけたのが「観月橋」。国道は茶路川の流れに沿って少しは小高くなっていくのだが、冬の間は十勝の続きとも思える原野のようだった。
 冬が過ぎればあたり一帯はどうなるのか考えながら先へ進むと、しそ焼酎の由来ともなった、しその産地「鍛高」という地名も見えてくる。まさかあたり一面の紫蘇畑・・・かもなんて考えながらとりあえず274号線との交点(当時終点)まで行ってひと休み。「観月橋」まで戻って写真を撮ったら路側帯のパーキングスペースで寝てしまった様だ。
 この後カメラに残っている写真は、真っ暗な中での「豊頃大橋」の写真と、帯広のラーメン屋さんの写真。そして、翌早朝の雪の中の占冠村「赤岩大橋」の写真だけである。何処で何をして、何処で仮眠を取ったのか記憶の遠い彼方にあるらしい。

観月橋
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)釧路の橋

2017年01月12日

千代田大橋

2002年3月29日のうろうろ②
 3月28日(木)深夜、日付が変わる頃出発。目的地は音別町(現釧路市)。国道274号線をひた走ります。
 慣れた道ではないけど、初めての道でもなく、気になるのは冬の日勝峠のみ。そうとう気持ちがうきうきしていたのでしょうか、まったく記憶がありません。
 最初の写真の時間が朝6時。幕別町と池田町を繋ぐ国道242号線「千代田大橋」です。ただ、途中まで渡って引き返してきました。なぜかよくわかりませんが、歩道が無かった事と、寒かったせいでしょう。ですからこの橋は私にはとてはめずらしい事ですが、まだ渡りきっていない橋なのです。今となってちょっと悔やまれます。
 さて、国道38号線に戻って、目的地へ向けて走り出します。目的地「馬主来橋」は案外近くて1時間余で到着。そこは荒涼とした道東の枯れた冬そのもので、橋の架かる水面は結氷してました。橋はそんな厳しさの中で「なんてことないよん♪」と言うように道を繋いでいました。路肩に車を停めて寒さに震えながら渡ってみました。ぬくぬくの車を出るのが辛かった。車に戻ってきたときは冷えてこわばっていた体が温まるまでしばらくかかったと思います。昭和38年竣工の橋でした、既に50年以上経っていますが、今はどうでしょう、まだ架け替えされずに頑張って架かっているのでしょうか。



(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)十勝の橋

2017年01月09日

馬主来橋

2002年3月29日のうろうろ
 もうすでによく覚えてはいないのですが、写真を眺めながら2002年の橋巡りです。
 まずは「馬主来橋」
この年の3月始めごろです、友人からメールが来ました。内容は北海道の難読地名です。道内うろうろしているようだが、これらの地名読めるかい、というもの、なんてことないねぇ・・・なんて軽い気持ちでしたが・・・この地名読めませんでした。馬主来。
 嫌々ながら「読み方教えてくれ」と返信すると、「ぱしゅくる」と教えてもらいました。でも、「場所は自分で調べよ」とのことで、、、、
調べました、くやしいからねぇ。地図も見ました、くやしいからねぇ、、。
 調べれば調べるほど行きたい気持ちが膨れ上がり、4月1日から10月31日までと決めていたうろうろ期間を勇み足で出かけてしまいました。
あの頃は休日は週に1日、翌日の午後から仕事でそれまでには戻らなければいけなかった(そういえば、休日の夜中に北見から呼び戻された事もあったっけ)。冬の日勝峠は怖かった。雪でした。
 写真の橋の名前は「ぱしゅくるはし」。当時は音別町(現釧路市)と白糠町との境界にある馬主来川に架かる橋です。


 (写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)釧路の橋

2016年11月27日

古部大橋

2001年10月26日のうろうろ②
 「白井川橋」を過ぎました。旧南茅部町ももうすぐ終わりです。
 白井川会館をちょっと過ぎたところに「大梶川橋」があります。川があるなぁと車を停めてみました、また橋名がありません。写真を撮っているとありました。橋の側面部に。この川の奥の斜面に段々になった小さな滝のような流れが見えます。ほんのちょっとだけの平らな地面があります。このあたりは急な崖が延々と続いて、そのがけ下に人家がありました。あの頃は気にも留めませんでしたが、この風景は今写真を見ても恐ろしいです。東北大震災のあと、津波とともに来る大きな揺れは・・・本当に大丈夫なのかといつも気になります。この前も震度4の地震があったばかりです。
 次は民谷の沢というバス停そばにあった無名の橋です。名前がわからないので「民谷の沢橋(仮)」と勝手に名付けました。ここも海そばの狭い谷あいの河川。横に階段があります。崖の上まで続く階段に何かの配達の人が居ました。ここも凄いところに家を作ったなぁと、感心してしまいました。
 このあと、トンネルをいくつか過ぎて、トンネルを出たところに橋がありました。「古部大橋」です。トンネルを出て、ゆっくりスロープを下がって行く橋です。トンネルの出口(入り口?)が少し高いのです。先に車を止めて。ゆっくり戻って渡りました。この橋は橋下に港があります。下の車が小さく見えます。歩いていて見つけたのが、「太平洋」のプレートです。橋は太平洋の上に架けられたという事を宣言しているようでビックリしました。橋の下が舟揚場になっているのはたまに見ますが・・・、詳細はクリックして写真をご覧ください。
 車を停めたところまで戻って先へちょっと行くと「潮見橋」があります。これから先幾つかのトンネルを抜けて出たところが旧椴法華村で「矢尻川橋」をカメラに収めて、2001年の橋をみてうろうろする旅は終わりです。
 この年は天気に恵まれた様で350橋余りをカメラに収めることが出来ました。拙い思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

古部大橋

 このブログから、私の橋のサイトにリンクを貼ってありますが、サイトまで行かれた方はわかると思うのですが、橋の位置の地図がとてもいいかげんで、場所が違うよ!と言われそうなのとそのほか少し手を入れたいので、しばらくお休みします。次回は2002年編をそのうち突然始めます。
再開しましたら、またよろしくお願いします。
 文中の橋はあくまで2001年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月26日

ポン木直橋

2001年10月26日のうろうろ①
 2001年の最後の橋探しの日です。
 札幌から尾札部地区の黒鷲岬までほとんど一気に走りました。さすがに眠気もさしていたので、漁港の近くに停まっていた、釣りの人のらしい何台かの車に紛れて仮眠をとることにしました。
 この日の予定は椴法華まで。地区で言えば木直と古部というところだろうか。前週暗くなってから椴法華まで行ってみて、トンネルと断崖が続く道で、暗いうえに初めての道と言うこともあって、少々怖かった道だ。
 目が覚めて出発。天気は見事なくらい晴れて、秋空の道南のドライブになった。まずは走り出してすぐに「見日橋」、熊石に「見市橋」があったので、きっとアイヌ語地名由来なのだろうと思われた。続いては「ポン木直橋」、川はポン木直川(小さい木直川という意味)、見事に青い太平洋が広がるきれいな海だった。そして小さい木直川があるんだから大きい木直川もあるんだろうと思ったら、ありました「木直橋」。川のほとりにはが集まる。ちょっと人口希薄の海岸線を走った後には妙に安心できる集落です。そんなに長い距離走った訳では無いんですけどね(笑)。
 先を進めると川がありました白井川です(バス停が白井川だったので)。この川に橋は架かっているのですが、名前がわかりません。勝手に「(仮)白井川橋」とメモに残しました。

ポン木直橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月25日

尾札部橋

2001年10月19日のうろうろ④
 尾札部道路から海沿いの国道278号線に戻って最初の橋は、勿論川汲川に架かる「川汲橋」です。この橋はちょいとモダンな感じ、昭和42年と言うことは1967年竣工で、その頃の町の賑わいを感じさせるような橋でした。ただ、鮭の遡上は見えなかった気がします。先に進むと川汲清水川という川があるのですが、川というより水路でした。海側の川と山側の川は同じ川が流れているので、次の橋は「築上川橋」、次はちょっと違って「磨光橋」で磨光川に架かっています。この川は流路が短くて地図で見ると道の上の方にある磨光小学校のちょっと上あたりらしい。その次は「著保内橋」、続いては尾札部の中心地に架かる「尾札部橋」。川も大きくて、山に向かって段々と人家が集まっていて昔は栄えたんだろうなぁと感じられるたたずまいです。そして最後に八木川に架かる「八木川橋」「八木橋」でこの日の橋うろうろは終わり。さすがに日も短くて写真は断念しました。

尾札部橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月24日

川汲大橋

2001年10月19日のうろうろ③
 「精進川橋」をカメラに収めた後、川汲の町で、あの頃建設途中だった尾札部道路が気になり、一気に海沿いを尾札部まで進み八木川より川汲に戻ってくる事にした。
 山沿いの道に上がり、最初の橋が「尾札部大橋」続いて「著保内大橋」「築上橋」「川汲大橋」とカメラに収め道々83号線に出て海沿いの国道278号線に戻って「川汲橋」から尾札部までの道をもう一度辿った。
 尾札部道路を今地図で見ると、尾札部-臼尻の間が繋がっているがわかる。函館開建のHPを見ると平成23年度に開通し、以降森町まで工事中との事らしい、確かにあの海岸線では、津波などの災害発生時は避難路及び物流路としての用には供さないだろう。今はこの山沿いの道が主として使われていることだろう。海沿いの道は、歴史的にも江戸時代の「俵物」の主産地として栄えた地域なので。古い建物が立ち並んでいた。中でも既に解体されたと聞く入久川橋そばの「臼尻劇場」の写真を撮れたのは良かったと思う。

臼尻劇場

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月23日

紅葉橋

2001年10月19日のうろうろ②
 旧南茅部町の国道278号線を南下中。
 「角張川橋」に続いて出会ったのが「大船川橋」、大船という地名を聞くと縄文のふるさとに入ったなぁという気になった。海沿いを走ると海岸線の平地がとても少ないことに気づく。地図を見ると大船川に続いて「葡萄川」とい名称が見えるが、あのころカメラに収めたのが紅葉川に架かる仮名とした「紅葉橋」だ。そのあと「入久川橋」「垣島橋」、と続く。「紅葉橋」のサイトの写真を見てもらえばわかるのだが、高台から流れ出す川の流れが短い。葡萄川の流れを見落としたのは川を見逃したためと思われる。紅葉橋と垣島橋は橋名がわからず、そばのバス停の名称から採った。このあと縄文文化交流センター(名称が当時と違うかも・・)に立ち寄って2時間余り見聞を広めた。あの広くて深い住居址は必見の凄い遺構だと思う。また訪れてみたい。国道に戻り先に進み「精進川橋」をカメラに収めたあと、一気に南下を進めた。

紅葉橋

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2016年11月22日

常呂川橋

2001年10月19日のうろうろ①
 前週「鹿部橋」の写真を撮っていると、橋の下からガタガタゴトゴトと音がしていました。なんだろうとよくよく見ると、鮭の捕獲用の箱が設置してありました。採卵でしょうか、遡上する鮭を捕るために箱が設置してあるのを始めて見ました。
 さて、10月19日の週は、鹿部町のこの先からのスタートです。まず、鹿部と言えば間欠泉。すごいですねぇ、足湯に足を浸けながらぼけらぁ~~~っと吹き上がる温泉に見入ってしまいました。
 間欠泉からすこし進むと常呂川があります。この川に架かるのが「常呂川橋」、このあたりからはっきりと左側は海で右側が高台の地形が続いていきます。内浦湾とは離れていくのでどういう経過を経て成立した地形よくわからないですね。ただ言えるのは川が急流となって海に注ぐということです。鮭の遡上する河川が少ない気がします。知床のカラフト鱒の様に河口付近で産卵するんでしょうか。
 車を先に進めると駒ケ岳の麓の鹿部町は終わり。函館市となった旧南茅部町に入ります。海沿いの道を走ります、気持ちよい晩秋の青空の下です。まず出会ったのが「黒羽尻橋」、続いて「磯谷川橋」「角張川橋」と進んでいきます。途中小さい河川をいくつも通りすぎるのですが函渠の様で、道を繋ぐ橋としてはどうでしょうか。


常呂川橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。



  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月21日

鹿部橋

2001年10月12日のうろうろ③
 跨線橋を越えて旧砂原町に入る。雲が優勢でときおり雨も混じる空模様。早く道の駅つどーるさわらで休憩だぁ!と走ると「掛澗橋」を発見。
 カメラに収めて道の駅にたどり着く、写真と地図を確認してメモを作る。車を路肩に停めて作業してもいいのだが、やはりちゃんとした駐車場に車を置いて休憩を取ったほうが記憶を残りやすい。橋以外の写真も撮るのだから整理は大事。
 休憩と安息を得た後は鹿部町に向けて出発。東砂原の海からちょっと離れて走る国道は、川が何本も流れていそうなのだが橋が見つからずに気づいたら鹿部町に入っていたようだ。ややしばらく走ると川があったので橋は・・・と探すが橋ではなくて函渠かと思われたが一応河川名は確認できたので「本別川橋?」ということで?を入れてみた。この橋のサイトにある地図は間違いである、注意してほしい。
 続いて「折戸川橋」、このへんでだいぶ陽も傾いてきて次の「鹿部橋」で駒ケ岳をぐるっとまわったうろうろ旅は終了。そして・・何処で車中泊したのか思い出せないが、翌早朝に喜茂別町の国道276号線で旧胆振線「鈴川跨線橋」1箇所を追加でカメラに収めている。

鹿部橋

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2016年11月20日

砂原跨線橋

2001年10月12日のうろうろ②
 地図を眺めるのが好きである。道があって川があるから橋が架かっているだろう。道と線路が交差している様だから跨線橋があるだろう。ちょっと行ってみるかと出かける。橋や跨線橋がある場合は勿論多いのだが、函渠となっていて橋ではない場合もある。あるにはあっても名前も川名も無い事も多い。橋は面白い、橋は不思議だ。生活の中で当たり前になりすぎて、つい忘れる。
 さて、「下中の川橋」を確認したあとJR線と交差する「森川跨線橋」を越え尾白内川に架かる「上尾白内橋」を渡る。下流に道々があるからきっと下尾白内橋があるのだろう。今思うと確認しておけばよかったかなとも思う。ちょっと行くとまた跨線橋と出会う「砂原跨線橋」である、あの頃の国道はここで森町と砂原町を分けていた様だ。それぞれのたもとにカントリーサインが在り、懐かしい旧砂原町のカントリーサインが見える。

砂原跨線橋


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2016年11月19日

宿野辺橋

2001年10月12日の橋巡り①
 前回の国道5号線森町から1週間後、がんばって再び出かけました。毎年のように道内に強行ドライブをしていましたが、スタートは4月1日から(一部勇み足あり)10月31日までの7ヶ月間。休日の翌日は仕事なので(当たり前ですが・・・連休欲しかったなぁ)車中泊の鬼と言われるほどのタイトなスケジュールでした。あまりにもタイトすぎて雪道の運転はあぶない!と言うことでの自己規制でした。毎年最後の方になると南に向かっていました。
 今回は七飯町・森町の境界からスタートでした。最初の橋は「宿野辺橋」、この橋の架かる川で町域が区切られています。そこから前回終了した「精進橋」までゆっくり戻ります、「第一赤井橋」「第二赤井橋」「板小屋橋」と写真に撮り精進橋を通過、そのまま森町の国道分岐まで戻ります。国道5号線と国道278号線に分かれますが、そのまま国道278号線に進路変更です。何故か?・・・と言うと、前回の上中の川橋のあとの、「下中の川橋」確認です。もちろんありました!この道は昔は道々で1970年に国道になったはずだったので、橋の建設主体が違う、そのため橋の名前が違う可能性があるなぁと思っていたんです。安心納得でした。

宿野辺橋

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2016年11月18日

上姫川橋

2001年10月5日の橋巡り
 前回の八雲町の続きで、森町。
 国道5号線を途中まで進みました。まず、海沿いを走る国道とJRせんとの交差がいくつかある。最初は「石倉跨線橋」、続いて濁川温泉に続く道に曲がる手前に「濁川橋」。そしてまたJR線と交差する「蛯谷跨線橋」がある。
 ここを過ぎると道の駅の手前に「上鳥崎橋」、この先で砂原へ向かうか函館へ進むか迷ったがそのまま5号線を進みます。そこからあったのが「上中の川橋」。上ということで下はあるのかな・・・と思ったらありました。これは次回に先送り、さて次がJRの秘境駅としてテレビでやっていた姫川駅の近く「上姫川橋」、国内初の工法で渡された橋であるとそばに小さい碑があったのですが、全く読めませんでした。先に進むと駒ケ岳駅のそばに「精進橋」があります。

上姫川橋

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2016年11月17日

落部橋

2001年9月28日の橋巡り④
 落部橋
「野田追橋」を渡って東野地区に入ります。もう野田追の地名は橋と川だけになったかと思っていると、もうひとつありました。「野田追跨線橋」です、もしかしてもう無いか・・・と思ってググってみたらありました。「国道5号 八雲町 野田追跨線橋の損傷について」の函館開建のPOFです。今年の3月のはじめになんらかの事故があったようです。事故を喜ぶのも変ですが、2001年のままの橋だといいなぁなんて思ってしまいました(汗)。
 落部インターの入り口を過ぎて落部地区へ入ります。川は落部川、橋は「落部橋」。秋深まり行く頃にこの橋を通る機会があれば、ちょっと車を止めて橋を渡ってみます。鮭がのぼります。それも大量の鮭が。さすがに鮭の上を歩いて渡れる・・と言うほどではないですし、北海道の河川に鮭が遡上するのは珍しくもありませんが西日を背にして、のぼる鮭達をなんか目を奪われたようにしばらく見ていました。2001年はこのあと4回この落部橋のそばで休憩を取りました。今も変わらずあって欲しいものだと思います。
 先に進み森町との境(カントリーサイン)にタッチして。引き返して「おぼこ荘」を目指しました。そこで一箇所見落としを発見。「野田追橋」を過ぎて「山越跨線橋」です。ここをカメラに収めて目的地へむかいました。

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2016年11月16日

野田追橋

2001年9月28日の橋巡り③
 「八雲跨線橋」を過ぎると国道は海沿いの道を進む。田園地帯と言うよりも街道沿いという感じで、橋は「奥津内橋」「浜松橋」「酒屋川橋」と続きます。そして野田生地区に入っていきます。野田追川に架かる「野田追橋」を渡ります。以前は野田生地区を過ぎて橋を渡り野田追地区に入っていくという感じだったようですが、なんとも紛らわしく、JR駅が野田生駅ということで野田追地区が東野地区に名前が変わり野田追は橋名と川名に残った様だ。この橋は1997(平成9)年に架け替えの予定の直前、折からの集中豪雨により落橋した。道南の物流は大きくを日本海を回らなければいけなくなり道内を大混乱にさせた。今は高速道路が延びたのでよほどの大災害でもない限りこのような事態には陥ることは無い。

野田追橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


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2016年11月15日

鷲の巣跨線橋

2001年9月28日の橋巡り②
 八雲町花浦地区を通過。まったくのどかな田園地帯で「花浦橋」を渡る。この次が「鷲の巣跨線橋」である。以前は近くに鷲の巣駅があったが今年(2016年3月)廃駅となり信号場となった。乗降客の減少に伴うと言うことらしい。
 この跨線橋を過ぎると市街地に入っていく、沿道には商業施設などが並んでくる。昼間は交通量もそこそこなのだが、夜ともなればついスピードが出てしまう区間である。ニュース等で八雲町の交通事故の報道があると、この気持ちの良い道路を思い出してしまう。「新鷲の巣橋」「八雲大橋」「新端の巣別橋」「八雲跨線橋」、の間は要注意、注意一秒怪我一生である(今でも言うのかな?)地図で見ると「新端の巣別橋」のそばにローソンがあるようだが、以前はパチンコ屋があった様で、あの時点で営業していなかった可能性があるのだがさすがに15年はずいぶん昔の様だ。

鷲の巣跨線橋
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


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