さぽろぐ

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2017年07月10日

簾舞橋

2002年4月19日のうろうろ
 この前週、厚田村(現石狩市厚田区)うろうろしていた私は、目覚めが遅かったのか、石狩市域へ向かうのを断念。何故か南下をしたようだ。天気は早春の陽射したっぷりで気持ち良くドライブ。南区豊滝にあった旧道路情報館(現豊滝除雪ステーション)にて道路情報と数種の文献に当たってみることになった。「あ~~北海道は広いねぇ、まだまだ橋も道路もいっぱいあるねぇ。今年はどこまで行けるやら・・・」なんて思いながらも、この日は峠を越える気力も失せ気味で、とりあえず、情報館のそばの「中の沢橋」をカメラに収める。
 一つ橋を見ると次も見たくなる。車を情報館の駐車場に置いて市街地にむかって歩く。次の橋が「板割沢橋」。以前は国道230号線はもっと峠に向かって曲がっていたような気がする。以前一度パンクしたことを思い出した。人生初めてのパンクだったと思う。さすがにこの先まで歩くには駐車場が遠くなるので引き返した。
 戻って、この次の橋「簾舞橋」まで行き、この日は3橋カメラに収めて終了とした。
簾舞橋


(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


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2017年07月07日

ポンノッポロ橋

2017年5月4日の橋めぐり5
 札幌南郷通をもみじ台通との交点の少し先へ行くと「大沢橋」があります。この橋は「ポンノッポロ川」に架かる橋です。この川からの上流部がもみじ台緑地と呼ばれる整備された公園になります。この日は高校生の野球の試合があったのでしょう。球場アナウンスの声がまじかに聞こえていました。川は細くなりながら緑地公園の中を流れます。橋はすべて車の通行不可の歩道橋です。まず出会うのが「勝栄橋」名前の由来はわかりませんが野球場に近いせいかもしれません。しばらく歩くと「テニスコート」のそばに「紅白橋」です。このあたりから右側には住宅地が出てきます。橋を渡ると、遊歩道がもみじ台地域に向かって伸びています。歩くと左右の高台を渡す「ポンノッポロ橋」が見えました橋の下からの写真が撮りたくて遊歩道を離れ川沿いに進みます。すると、雪捨て場があり、盛んに雪解け水が細い川に流れ込んでいます。橋の下を過ぎるともう道はありません。無理して進むと対岸に公園が見えてきました。????
 なんとか公園の入り口まで行ってみると「ホクノー園」という民間の公園でした。紅葉の季節に訪れてみたくなる公園を出て、もみじ台通を「ポンノッポロ橋」まで戻ります。橋を渡ってカメラに収め、バスに乗って帰途につきました。約8キロの強散歩でした・・・終わり。


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2017年07月06日

吉村橋

2017年5月4日の橋めぐり4
 前回の「佐藤橋」の次が「吉村橋」です。最初の頃の「高田橋」も次の「吉谷橋」もそしてさらに次の「大沢橋」も昔の地名だったと言うようないわれがあるのかもしれませんが人の苗字の様です。歴史的な経緯がわからないので想像なのですが、架橋時の土地提供者もしくは**さんの家へ行く道に架かる橋の意味だと思います。たまに河川や水路に自宅の玄関先に通じる私橋を架けているのを目にすることがあります。コンクリート製の橋だったり鉄骨を何本か並べた様な橋で、名もない橋なのですが、「吉村橋」にはバス停がありました。橋を渡る道がバス路線に組み込まれているんですね。宅地が拡大してきた様子を思い浮かべると何とも楽しい気分になります。河川名は「小野津幌川」、この橋より上流は河川内の木々が伐採されていました。変だなぁと思って歩いていると次の「吉谷橋」に来てわかりました。川が合流しているのです。橋の上に立ってみると左側に「小野津幌川」の流れがが森林公園の中へと伸びていました。近年の異常気象の増水対策の為流路整備されたようです。先へ歩みを進めようかとも思いましたが、民有地へ足を踏み入れる事になりそうでやめにしました。地図で見ると公園内の池の更に先に源流部がありそうです。さて、合流部の右からの流れは「ポンノッポロ川」。南郷通の終点に架かる「大沢橋」はこのポンノッポロ川に架かる橋です・・・つづく



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2017年07月05日

佐藤橋

2017年5月4日の橋めぐり3
 厚別通とJR函館線を越えて上流を目指すと次に出てくるのが国道12号線。この道と川が交差するところにあるのが「小野幌橋」。何度も書くが、川は「小野津幌川」である。ひらがなにすると「このっぽろかわ(おのっぽろかわ)」に「このっぽろはし」が架かっている。あぁぁぁ混乱してきたので、次。橋そばの入浴施設横を抜けて出会うのが
「森林公園橋」
。川の右岸の住宅地の向こう側は広大に広がる「野幌森林公園」がある。しかし、この橋を渡ると森林公園の入り口に出る訳ではない。車飛び込み注意状態の住宅があるばかり。丘陵地で道が入り組んでいるとは言え、ほんのちょっと下流に架ければいいのにとつい思ってしまう。
 ここから更に上流へ向かって出会うのが「佐藤橋」。川はなんと「野津幌川」・・・隣の川です(汗)思わず手元の地図を見てしまいました。幾つかの川が流路を変え名前を変え合流分流を繰り返すのはよくある事だと思います。架橋された年代によって状況によっては現状とは河川名が変更になるのかもしれません。橋の寿命は50年と言われますが、その間には
いろいろとあるのでしょう。「佐藤橋」が架け替え時期を迎え「佐藤新橋」になる時には川名はどうなるのでしょうか。・・・続く


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2017年07月04日

「森林公園駅歩道1号橋

2017年5月4日の橋めぐり2
 「小野津幌川橋」を過ぎると歩道橋に出会う。もちろん学校のそばに設置されている道を渡る歩道橋ではなくて、川をわたるためのもので、右岸に広がる厚別北若葉公園方面に向かう人が渡っている。順に「高田橋」「若葉橋」と架かる。花見の季節柄橋の下で宴会している人もいるし、一人花見状態のひとも幾人かいる。次がJR函館線の橋である。名前を確認できなかったが「小野津幌川橋梁」とでも言うのだろうか。ここで堤防が途切れて線路を越える道がない。仕方がないので橋梁の下をくぐって上流側へ出ると「森林公園駅歩道1号橋」と出会う。この歩道橋は小野津幌川を渡っているのだが、歩道橋の続きがあって、川に並走するもみじ台通を越える「森林公園駅歩道2号橋」となる。川に戻って土手沿いを歩くと川には上流に養鯉場でもあるのか、逃げ出したのであろう錦鯉が悠然と泳いでいた。・・・続く

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2017年07月03日

小野津幌川橋

2017年5月4日の橋めぐり1
 今年初めの頃まで2003年にめぐった橋を紹介してきたのだが、メインサイトの更新が遅々として進まぬことと、記憶がメモ等を見ても判然としなくなったのを言い訳に自然休筆となってしまった。
 春になって足がうずうずしてきたので、地図を眺めて「厚別川」を今年のテーマに据え行ってみることにした。移動の手段は公共交通機関と徒歩である。車を運転できなくなって遠方へは出れなくなったので、おのずと活動範囲は居住地札幌とその周辺が中心となる。サイトを「北海道の橋」と名付けてはいるが、まぁ仕方のないことと観念するしかない。
 さて、今年の最初はGW真っ最中の5月4日に厚別川支流の「小野津幌川」に出かけた。地下鉄・バスと乗り継いで野津幌川と分流する河口部から源流部まで歩いてみましょうという試みだ。
 バスから降りて、野津幌川の土手右岸を河口部目指して歩く。たどり着いてみれば河口と言うよりは沢水がチョロチョロ流れ出している感じ。ただ増水対応の護岸工事はしっかりされており、増水時はきつい流れになることが想像できる。そこでひとやすみしていると、遊んでいた子供が「おじさん何してるの???」と聞いてきた。日頃人のいない場所なので不思議なのだろう。昨今の風潮で、こちらから話かけると、ただの「怪しいおじさん」となってしまうので、ついうれしくなって「これから川の始まりのところまで歩いていくんだよ。」と答えると「へぇぇ遠いねぇ」と答えてくれた。地図と実際は違うのかも・・・と不安になった。
 最初に出会った橋が厚別通と交差する「小野津幌川橋」。漢字で書くと違和感は無いのだが、川の呼び方と橋の呼び方が違う。川の管理者と橋の管理者が違うのか・・・詳細は写真をご覧ください。のちのちこの事で少々混乱することになる。アイヌ語ではポン(小さいの意)ノッポロ川だろうとは思うのだが。・・・・続く


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Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)札幌の橋

2017年06月17日

西野幌橋

 お久しぶりです。
 2001年の誕生日に始めた「北海道の橋」サイトが17年目に入りました。この間更新は遅々として進まず、生活も激変しました。
サイトはまだセブンティーンで若いんですけどね。(笑)
 今年の始動は5月4日。意気揚々と始めたのはいいのですが・・・体がついていきません。先日お医者さんに「過労ですね・・」と言われてしまいました。そんな中、地図を眺めていると5月4日に見逃していた橋を見つけました。
 今年のテーマは「厚別川」。この川の支流のまた支流の西野幌川に架かる「西野幌橋」です。体が重いのでそのうちに・・・とも思いましたが、6月11日に出かけました。すでに車に乗れなくなって何年もたちます。地下鉄とバスを乗り継いでなんとかたどり着きました。途中から生憎の雨でしたが、30年近くも道をつないでいる橋に会えて。なんか嬉しくなってしまいました(^^♪。
 サイト開設日にHave a good day! Have a good night! ☆と激励いただきました。また頑張る気が出てきましたので、ブログの再開とサイトの更新を続けたいと思います。・・ただし、次回は未定です(大汗)

  


Posted by haruitiban at 22:42Comments(0)札幌の橋

2017年02月09日

聚富橋

2002年4月12日のうろうろ④
 「浅羅賀橋」を越えてしまえば「石狩河口橋」まで一直線だぁ!と思ったらさにあらず・・・
 台地を超えたところに橋がありました。「知津狩橋(しらつかりはし)」です。渡る河川は勿論「知津狩川」。北海道にはアイヌ語由来の地名が多いのですが、似たような名前を今思い出すと、道南に「シロリカ川」に架かる「白糠橋」があるし、「白糠町」という町もある。雨竜町と新十津川町を分けるのが「オシラリカ川」だったような・・・。そういえば、どことなく風景が似ています。「知津狩橋」の写真を撮っていると、ちょっと下流に「旧知津狩川」河川表示板が見えます。行ってみました。なんとなく頭にひっかっかったので車に戻って地図を見ます。この川の上流には旧石狩油田があったようです。戦争で焼失したらしいのですが、へぇ北海道に油田ねぇ~と頭に引っかかった事があったのを思い出したのです。
 さて今回の橋もあと二つ。河川改修が行われてとても奇麗になった名前のわからない川に架かる「新開地橋」と同じように川の名前のわからない「聚富(しゅっぷ・しっぷ)橋」ですあの頃はこの橋を渡ると厚田村から石狩市に入りました。写真をを見るとそれぞれカントリーサインが見えます。台地から降りてきてスピードを出しやすいので、ゆっくりゆっくり帰りました。
聚富橋
「聚富橋」
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年02月08日

望来橋

2002年4月12日のうろうろ③
 「望来」は難読地名なのだろうか?「もうらい」と読みます。北海道石狩市にある地名です。
 さて、「望来大橋」を過ぎて望来川沿いを札幌に向けて進みます。なだらかな丘陵地です。次に出会うのが「瑞穂橋」。そしてすぐに「望来橋」です。ここで川は海に注いでいきます。
 いつの頃かわかりませんが、このどちらかの橋が工事していた記憶があります。「瑞穂橋」の歩道橋併設工事だったもしれません。2002年の写真には両方の橋に歩道橋があるようですから、もっと前かなとも思えます。札幌近郊を抜けるのは仕事を終えてからなので、存外夜中に走ることが多かったのです。記憶が混乱しています。
 さて、望来地区の最後の橋が「浅羅賀橋」です。読みは「あさらかはし」河川名は「正利冠川(まさりかっぷかわ)」。ここを過ぎるとひと山超えて聚富(しゅっぷ・しっぷ)地区に入ります。今思うと「浅羅賀橋」の近くに郵便局があるのですが、ここで友人に何か送った(手紙?)記憶があるのですが・・・何を送ったか記憶が定かでないのが気になります。こんど会ったら聞いてみることにしましょう。


「望来橋」
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年02月07日

望来大橋

2002年4月12日のうろうろ②
 ①の「厚田橋」をカメラに収めて、海からちょっと離れた国道231号線を戻っていると、本格的に今年も始まってしまったなぁ・・・と思った。
 仕事も忙しいのになんて無謀なんだろうとちょっと反省。そんなこと考えてるうちに、古潭地区に入って渡ったのが「新古潭橋」。そばに「ふれあいセカンドスクール」と書いてある建物(体育館?)があった。このブログ書いていて気になったので調べてみたら、15年の歳月を経て今でも存在しているようで、検索にヒットした。しかし、なんの施設かよくわからなかった。15年たってもあるようで少し嬉しくなった。
 今日の表題の橋「望来大橋」。大橋の基準てなに?って感じの普通の橋。つい室蘭の「白鳥大橋」と引き比べてしまった。きっと国道231号線を繋ぐうえでのいろいろな歴史があったんだろう。橋の架かる望来川はこれから望来地区の中を流れていく。
 ここで突然友人の誕生日を思い出した。バースディカードでも送ろうと、周囲を見回すも店なんて無いし...、とりあえず先を進めることにした。

<望来大橋>
(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


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2017年02月05日

厚田橋

2002年4月12日のうろうろ①
 勇み足でスタートしたこの年は、本格的にはこの4月12日から始まった。
道東白糠町までの走りはなかなか体にこたえたようで、まずは近場へ、車中泊はなく日帰りで・・・ということで近隣へ向かう。
 今となっては隣の自治体なのだが、2005年の市町村合併で石狩市となった厚田村(現石狩市厚田区)である。実際はもっと北を目指したのだが、厚田港を見下ろす高台の駐車スペースで海を見ながらまだ寒いなぁ・・・と力尽きた(笑)。
 さて、ゆるゆる戻りながらの橋探し、まず渡ったのが厚田川に架かる「厚田橋」。街なかにはすでに雪は無く、かといって若草萌え出すにはちと早いという風情。橋がちょっと長い、この川昔は増水したのかもしれない。

厚田川左岸からの厚田橋
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文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)石狩の橋

2017年01月14日

観月橋

2002年3月29日のうろうろ③
 とりあえず目的地「馬主来」に着いて橋の写真を撮ったのだが、せっかく白糠町まで来たのだから、国道274号線の続き具合でも見て帰ろうと、国道38号線を左に折れた。乗った道は国道392号線。途中に見つけたのが「観月橋」。国道は茶路川の流れに沿って少しは小高くなっていくのだが、冬の間は十勝の続きとも思える原野のようだった。
 冬が過ぎればあたり一帯はどうなるのか考えながら先へ進むと、しそ焼酎の由来ともなった、しその産地「鍛高」という地名も見えてくる。まさかあたり一面の紫蘇畑・・・かもなんて考えながらとりあえず274号線との交点(当時終点)まで行ってひと休み。「観月橋」まで戻って写真を撮ったら路側帯のパーキングスペースで寝てしまった様だ。
 この後カメラに残っている写真は、真っ暗な中での「豊頃大橋」の写真と、帯広のラーメン屋さんの写真。そして、翌早朝の雪の中の占冠村「赤岩大橋」の写真だけである。何処で何をして、何処で仮眠を取ったのか記憶の遠い彼方にあるらしい。

観月橋
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Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)釧路の橋

2017年01月12日

千代田大橋

2002年3月29日のうろうろ②
 3月28日(木)深夜、日付が変わる頃出発。目的地は音別町(現釧路市)。国道274号線をひた走ります。
 慣れた道ではないけど、初めての道でもなく、気になるのは冬の日勝峠のみ。そうとう気持ちがうきうきしていたのでしょうか、まったく記憶がありません。
 最初の写真の時間が朝6時。幕別町と池田町を繋ぐ国道242号線「千代田大橋」です。ただ、途中まで渡って引き返してきました。なぜかよくわかりませんが、歩道が無かった事と、寒かったせいでしょう。ですからこの橋は私にはとてはめずらしい事ですが、まだ渡りきっていない橋なのです。今となってちょっと悔やまれます。
 さて、国道38号線に戻って、目的地へ向けて走り出します。目的地「馬主来橋」は案外近くて1時間余で到着。そこは荒涼とした道東の枯れた冬そのもので、橋の架かる水面は結氷してました。橋はそんな厳しさの中で「なんてことないよん♪」と言うように道を繋いでいました。路肩に車を停めて寒さに震えながら渡ってみました。ぬくぬくの車を出るのが辛かった。車に戻ってきたときは冷えてこわばっていた体が温まるまでしばらくかかったと思います。昭和38年竣工の橋でした、既に50年以上経っていますが、今はどうでしょう、まだ架け替えされずに頑張って架かっているのでしょうか。



(写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

文中の橋はあくまで2002年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)十勝の橋

2017年01月09日

馬主来橋

2002年3月29日のうろうろ
 もうすでによく覚えてはいないのですが、写真を眺めながら2002年の橋巡りです。
 まずは「馬主来橋」
この年の3月始めごろです、友人からメールが来ました。内容は北海道の難読地名です。道内うろうろしているようだが、これらの地名読めるかい、というもの、なんてことないねぇ・・・なんて軽い気持ちでしたが・・・この地名読めませんでした。馬主来。
 嫌々ながら「読み方教えてくれ」と返信すると、「ぱしゅくる」と教えてもらいました。でも、「場所は自分で調べよ」とのことで、、、、
調べました、くやしいからねぇ。地図も見ました、くやしいからねぇ、、。
 調べれば調べるほど行きたい気持ちが膨れ上がり、4月1日から10月31日までと決めていたうろうろ期間を勇み足で出かけてしまいました。
あの頃は休日は週に1日、翌日の午後から仕事でそれまでには戻らなければいけなかった(そういえば、休日の夜中に北見から呼び戻された事もあったっけ)。冬の日勝峠は怖かった。雪でした。
 写真の橋の名前は「ぱしゅくるはし」。当時は音別町(現釧路市)と白糠町との境界にある馬主来川に架かる橋です。


 (写真をクリックするとちょっと大きな写真が見れます。)

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 あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。  


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2016年11月27日

古部大橋

2001年10月26日のうろうろ②
 「白井川橋」を過ぎました。旧南茅部町ももうすぐ終わりです。
 白井川会館をちょっと過ぎたところに「大梶川橋」があります。川があるなぁと車を停めてみました、また橋名がありません。写真を撮っているとありました。橋の側面部に。この川の奥の斜面に段々になった小さな滝のような流れが見えます。ほんのちょっとだけの平らな地面があります。このあたりは急な崖が延々と続いて、そのがけ下に人家がありました。あの頃は気にも留めませんでしたが、この風景は今写真を見ても恐ろしいです。東北大震災のあと、津波とともに来る大きな揺れは・・・本当に大丈夫なのかといつも気になります。この前も震度4の地震があったばかりです。
 次は民谷の沢というバス停そばにあった無名の橋です。名前がわからないので「民谷の沢橋(仮)」と勝手に名付けました。ここも海そばの狭い谷あいの河川。横に階段があります。崖の上まで続く階段に何かの配達の人が居ました。ここも凄いところに家を作ったなぁと、感心してしまいました。
 このあと、トンネルをいくつか過ぎて、トンネルを出たところに橋がありました。「古部大橋」です。トンネルを出て、ゆっくりスロープを下がって行く橋です。トンネルの出口(入り口?)が少し高いのです。先に車を止めて。ゆっくり戻って渡りました。この橋は橋下に港があります。下の車が小さく見えます。歩いていて見つけたのが、「太平洋」のプレートです。橋は太平洋の上に架けられたという事を宣言しているようでビックリしました。橋の下が舟揚場になっているのはたまに見ますが・・・、詳細はクリックして写真をご覧ください。
 車を停めたところまで戻って先へちょっと行くと「潮見橋」があります。これから先幾つかのトンネルを抜けて出たところが旧椴法華村で「矢尻川橋」をカメラに収めて、2001年の橋をみてうろうろする旅は終わりです。
 この年は天気に恵まれた様で350橋余りをカメラに収めることが出来ました。拙い思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

古部大橋

 このブログから、私の橋のサイトにリンクを貼ってありますが、サイトまで行かれた方はわかると思うのですが、橋の位置の地図がとてもいいかげんで、場所が違うよ!と言われそうなのとそのほか少し手を入れたいので、しばらくお休みします。次回は2002年編をそのうち突然始めます。
再開しましたら、またよろしくお願いします。
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2016年11月26日

ポン木直橋

2001年10月26日のうろうろ①
 2001年の最後の橋探しの日です。
 札幌から尾札部地区の黒鷲岬までほとんど一気に走りました。さすがに眠気もさしていたので、漁港の近くに停まっていた、釣りの人のらしい何台かの車に紛れて仮眠をとることにしました。
 この日の予定は椴法華まで。地区で言えば木直と古部というところだろうか。前週暗くなってから椴法華まで行ってみて、トンネルと断崖が続く道で、暗いうえに初めての道と言うこともあって、少々怖かった道だ。
 目が覚めて出発。天気は見事なくらい晴れて、秋空の道南のドライブになった。まずは走り出してすぐに「見日橋」、熊石に「見市橋」があったので、きっとアイヌ語地名由来なのだろうと思われた。続いては「ポン木直橋」、川はポン木直川(小さい木直川という意味)、見事に青い太平洋が広がるきれいな海だった。そして小さい木直川があるんだから大きい木直川もあるんだろうと思ったら、ありました「木直橋」。川のほとりにはが集まる。ちょっと人口希薄の海岸線を走った後には妙に安心できる集落です。そんなに長い距離走った訳では無いんですけどね(笑)。
 先を進めると川がありました白井川です(バス停が白井川だったので)。この川に橋は架かっているのですが、名前がわかりません。勝手に「(仮)白井川橋」とメモに残しました。

ポン木直橋

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2016年11月25日

尾札部橋

2001年10月19日のうろうろ④
 尾札部道路から海沿いの国道278号線に戻って最初の橋は、勿論川汲川に架かる「川汲橋」です。この橋はちょいとモダンな感じ、昭和42年と言うことは1967年竣工で、その頃の町の賑わいを感じさせるような橋でした。ただ、鮭の遡上は見えなかった気がします。先に進むと川汲清水川という川があるのですが、川というより水路でした。海側の川と山側の川は同じ川が流れているので、次の橋は「築上川橋」、次はちょっと違って「磨光橋」で磨光川に架かっています。この川は流路が短くて地図で見ると道の上の方にある磨光小学校のちょっと上あたりらしい。その次は「著保内橋」、続いては尾札部の中心地に架かる「尾札部橋」。川も大きくて、山に向かって段々と人家が集まっていて昔は栄えたんだろうなぁと感じられるたたずまいです。そして最後に八木川に架かる「八木川橋」「八木橋」でこの日の橋うろうろは終わり。さすがに日も短くて写真は断念しました。

尾札部橋

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2016年11月24日

川汲大橋

2001年10月19日のうろうろ③
 「精進川橋」をカメラに収めた後、川汲の町で、あの頃建設途中だった尾札部道路が気になり、一気に海沿いを尾札部まで進み八木川より川汲に戻ってくる事にした。
 山沿いの道に上がり、最初の橋が「尾札部大橋」続いて「著保内大橋」「築上橋」「川汲大橋」とカメラに収め道々83号線に出て海沿いの国道278号線に戻って「川汲橋」から尾札部までの道をもう一度辿った。
 尾札部道路を今地図で見ると、尾札部-臼尻の間が繋がっているがわかる。函館開建のHPを見ると平成23年度に開通し、以降森町まで工事中との事らしい、確かにあの海岸線では、津波などの災害発生時は避難路及び物流路としての用には供さないだろう。今はこの山沿いの道が主として使われていることだろう。海沿いの道は、歴史的にも江戸時代の「俵物」の主産地として栄えた地域なので。古い建物が立ち並んでいた。中でも既に解体されたと聞く入久川橋そばの「臼尻劇場」の写真を撮れたのは良かったと思う。

臼尻劇場

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2016年11月23日

紅葉橋

2001年10月19日のうろうろ②
 旧南茅部町の国道278号線を南下中。
 「角張川橋」に続いて出会ったのが「大船川橋」、大船という地名を聞くと縄文のふるさとに入ったなぁという気になった。海沿いを走ると海岸線の平地がとても少ないことに気づく。地図を見ると大船川に続いて「葡萄川」とい名称が見えるが、あのころカメラに収めたのが紅葉川に架かる仮名とした「紅葉橋」だ。そのあと「入久川橋」「垣島橋」、と続く。「紅葉橋」のサイトの写真を見てもらえばわかるのだが、高台から流れ出す川の流れが短い。葡萄川の流れを見落としたのは川を見逃したためと思われる。紅葉橋と垣島橋は橋名がわからず、そばのバス停の名称から採った。このあと縄文文化交流センター(名称が当時と違うかも・・)に立ち寄って2時間余り見聞を広めた。あの広くて深い住居址は必見の凄い遺構だと思う。また訪れてみたい。国道に戻り先に進み「精進川橋」をカメラに収めたあと、一気に南下を進めた。

紅葉橋

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2016年11月22日

常呂川橋

2001年10月19日のうろうろ①
 前週「鹿部橋」の写真を撮っていると、橋の下からガタガタゴトゴトと音がしていました。なんだろうとよくよく見ると、鮭の捕獲用の箱が設置してありました。採卵でしょうか、遡上する鮭を捕るために箱が設置してあるのを始めて見ました。
 さて、10月19日の週は、鹿部町のこの先からのスタートです。まず、鹿部と言えば間欠泉。すごいですねぇ、足湯に足を浸けながらぼけらぁ~~~っと吹き上がる温泉に見入ってしまいました。
 間欠泉からすこし進むと常呂川があります。この川に架かるのが「常呂川橋」、このあたりからはっきりと左側は海で右側が高台の地形が続いていきます。内浦湾とは離れていくのでどういう経過を経て成立した地形よくわからないですね。ただ言えるのは川が急流となって海に注ぐということです。鮭の遡上する河川が少ない気がします。知床のカラフト鱒の様に河口付近で産卵するんでしょうか。
 車を先に進めると駒ケ岳の麓の鹿部町は終わり。函館市となった旧南茅部町に入ります。海沿いの道を走ります、気持ちよい晩秋の青空の下です。まず出会ったのが「黒羽尻橋」、続いて「磯谷川橋」「角張川橋」と進んでいきます。途中小さい河川をいくつも通りすぎるのですが函渠の様で、道を繋ぐ橋としてはどうでしょうか。


常呂川橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。



  


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