さぽろぐ

日記・一般  |札幌市中央区

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2016年11月27日

古部大橋

2001年10月26日のうろうろ②
 「白井川橋」を過ぎました。旧南茅部町ももうすぐ終わりです。
 白井川会館をちょっと過ぎたところに「大梶川橋」があります。川があるなぁと車を停めてみました、また橋名がありません。写真を撮っているとありました。橋の側面部に。この川の奥の斜面に段々になった小さな滝のような流れが見えます。ほんのちょっとだけの平らな地面があります。このあたりは急な崖が延々と続いて、そのがけ下に人家がありました。あの頃は気にも留めませんでしたが、この風景は今写真を見ても恐ろしいです。東北大震災のあと、津波とともに来る大きな揺れは・・・本当に大丈夫なのかといつも気になります。この前も震度4の地震があったばかりです。
 次は民谷の沢というバス停そばにあった無名の橋です。名前がわからないので「民谷の沢橋(仮)」と勝手に名付けました。ここも海そばの狭い谷あいの河川。横に階段があります。崖の上まで続く階段に何かの配達の人が居ました。ここも凄いところに家を作ったなぁと、感心してしまいました。
 このあと、トンネルをいくつか過ぎて、トンネルを出たところに橋がありました。「古部大橋」です。トンネルを出て、ゆっくりスロープを下がって行く橋です。トンネルの出口(入り口?)が少し高いのです。先に車を止めて。ゆっくり戻って渡りました。この橋は橋下に港があります。下の車が小さく見えます。歩いていて見つけたのが、「太平洋」のプレートです。橋は太平洋の上に架けられたという事を宣言しているようでビックリしました。橋の下が舟揚場になっているのはたまに見ますが・・・、詳細はクリックして写真をご覧ください。
 車を停めたところまで戻って先へちょっと行くと「潮見橋」があります。これから先幾つかのトンネルを抜けて出たところが旧椴法華村で「矢尻川橋」をカメラに収めて、2001年の橋をみてうろうろする旅は終わりです。
 この年は天気に恵まれた様で350橋余りをカメラに収めることが出来ました。拙い思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

古部大橋

 このブログから、私の橋のサイトにリンクを貼ってありますが、サイトまで行かれた方はわかると思うのですが、橋の位置の地図がとてもいいかげんで、場所が違うよ!と言われそうなのとそのほか少し手を入れたいので、しばらくお休みします。次回は2002年編をそのうち突然始めます。
再開しましたら、またよろしくお願いします。
 文中の橋はあくまで2001年当時の写真です。現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月25日

尾札部橋

2001年10月19日のうろうろ④
 尾札部道路から海沿いの国道278号線に戻って最初の橋は、勿論川汲川に架かる「川汲橋」です。この橋はちょいとモダンな感じ、昭和42年と言うことは1967年竣工で、その頃の町の賑わいを感じさせるような橋でした。ただ、鮭の遡上は見えなかった気がします。先に進むと川汲清水川という川があるのですが、川というより水路でした。海側の川と山側の川は同じ川が流れているので、次の橋は「築上川橋」、次はちょっと違って「磨光橋」で磨光川に架かっています。この川は流路が短くて地図で見ると道の上の方にある磨光小学校のちょっと上あたりらしい。その次は「著保内橋」、続いては尾札部の中心地に架かる「尾札部橋」。川も大きくて、山に向かって段々と人家が集まっていて昔は栄えたんだろうなぁと感じられるたたずまいです。そして最後に八木川に架かる「八木川橋」「八木橋」でこの日の橋うろうろは終わり。さすがに日も短くて写真は断念しました。

尾札部橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月23日

紅葉橋

2001年10月19日のうろうろ②
 旧南茅部町の国道278号線を南下中。
 「角張川橋」に続いて出会ったのが「大船川橋」、大船という地名を聞くと縄文のふるさとに入ったなぁという気になった。海沿いを走ると海岸線の平地がとても少ないことに気づく。地図を見ると大船川に続いて「葡萄川」とい名称が見えるが、あのころカメラに収めたのが紅葉川に架かる仮名とした「紅葉橋」だ。そのあと「入久川橋」「垣島橋」、と続く。「紅葉橋」のサイトの写真を見てもらえばわかるのだが、高台から流れ出す川の流れが短い。葡萄川の流れを見落としたのは川を見逃したためと思われる。紅葉橋と垣島橋は橋名がわからず、そばのバス停の名称から採った。このあと縄文文化交流センター(名称が当時と違うかも・・)に立ち寄って2時間余り見聞を広めた。あの広くて深い住居址は必見の凄い遺構だと思う。また訪れてみたい。国道に戻り先に進み「精進川橋」をカメラに収めたあと、一気に南下を進めた。

紅葉橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月22日

常呂川橋

2001年10月19日のうろうろ①
 前週「鹿部橋」の写真を撮っていると、橋の下からガタガタゴトゴトと音がしていました。なんだろうとよくよく見ると、鮭の捕獲用の箱が設置してありました。採卵でしょうか、遡上する鮭を捕るために箱が設置してあるのを始めて見ました。
 さて、10月19日の週は、鹿部町のこの先からのスタートです。まず、鹿部と言えば間欠泉。すごいですねぇ、足湯に足を浸けながらぼけらぁ~~~っと吹き上がる温泉に見入ってしまいました。
 間欠泉からすこし進むと常呂川があります。この川に架かるのが「常呂川橋」、このあたりからはっきりと左側は海で右側が高台の地形が続いていきます。内浦湾とは離れていくのでどういう経過を経て成立した地形よくわからないですね。ただ言えるのは川が急流となって海に注ぐということです。鮭の遡上する河川が少ない気がします。知床のカラフト鱒の様に河口付近で産卵するんでしょうか。
 車を先に進めると駒ケ岳の麓の鹿部町は終わり。函館市となった旧南茅部町に入ります。海沿いの道を走ります、気持ちよい晩秋の青空の下です。まず出会ったのが「黒羽尻橋」、続いて「磯谷川橋」「角張川橋」と進んでいきます。途中小さい河川をいくつも通りすぎるのですが函渠の様で、道を繋ぐ橋としてはどうでしょうか。


常呂川橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。



  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月21日

鹿部橋

2001年10月12日のうろうろ③
 跨線橋を越えて旧砂原町に入る。雲が優勢でときおり雨も混じる空模様。早く道の駅つどーるさわらで休憩だぁ!と走ると「掛澗橋」を発見。
 カメラに収めて道の駅にたどり着く、写真と地図を確認してメモを作る。車を路肩に停めて作業してもいいのだが、やはりちゃんとした駐車場に車を置いて休憩を取ったほうが記憶を残りやすい。橋以外の写真も撮るのだから整理は大事。
 休憩と安息を得た後は鹿部町に向けて出発。東砂原の海からちょっと離れて走る国道は、川が何本も流れていそうなのだが橋が見つからずに気づいたら鹿部町に入っていたようだ。ややしばらく走ると川があったので橋は・・・と探すが橋ではなくて函渠かと思われたが一応河川名は確認できたので「本別川橋?」ということで?を入れてみた。この橋のサイトにある地図は間違いである、注意してほしい。
 続いて「折戸川橋」、このへんでだいぶ陽も傾いてきて次の「鹿部橋」で駒ケ岳をぐるっとまわったうろうろ旅は終了。そして・・何処で車中泊したのか思い出せないが、翌早朝に喜茂別町の国道276号線で旧胆振線「鈴川跨線橋」1箇所を追加でカメラに収めている。

鹿部橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。


  


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2016年11月20日

砂原跨線橋

2001年10月12日のうろうろ②
 地図を眺めるのが好きである。道があって川があるから橋が架かっているだろう。道と線路が交差している様だから跨線橋があるだろう。ちょっと行ってみるかと出かける。橋や跨線橋がある場合は勿論多いのだが、函渠となっていて橋ではない場合もある。あるにはあっても名前も川名も無い事も多い。橋は面白い、橋は不思議だ。生活の中で当たり前になりすぎて、つい忘れる。
 さて、「下中の川橋」を確認したあとJR線と交差する「森川跨線橋」を越え尾白内川に架かる「上尾白内橋」を渡る。下流に道々があるからきっと下尾白内橋があるのだろう。今思うと確認しておけばよかったかなとも思う。ちょっと行くとまた跨線橋と出会う「砂原跨線橋」である、あの頃の国道はここで森町と砂原町を分けていた様だ。それぞれのたもとにカントリーサインが在り、懐かしい旧砂原町のカントリーサインが見える。

砂原跨線橋


文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。




  


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2016年11月18日

上姫川橋

2001年10月5日の橋巡り
 前回の八雲町の続きで、森町。
 国道5号線を途中まで進みました。まず、海沿いを走る国道とJRせんとの交差がいくつかある。最初は「石倉跨線橋」、続いて濁川温泉に続く道に曲がる手前に「濁川橋」。そしてまたJR線と交差する「蛯谷跨線橋」がある。
 ここを過ぎると道の駅の手前に「上鳥崎橋」、この先で砂原へ向かうか函館へ進むか迷ったがそのまま5号線を進みます。そこからあったのが「上中の川橋」。上ということで下はあるのかな・・・と思ったらありました。これは次回に先送り、さて次がJRの秘境駅としてテレビでやっていた姫川駅の近く「上姫川橋」、国内初の工法で渡された橋であるとそばに小さい碑があったのですが、全く読めませんでした。先に進むと駒ケ岳駅のそばに「精進橋」があります。

上姫川橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


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2016年11月17日

落部橋

2001年9月28日の橋巡り④
 落部橋
「野田追橋」を渡って東野地区に入ります。もう野田追の地名は橋と川だけになったかと思っていると、もうひとつありました。「野田追跨線橋」です、もしかしてもう無いか・・・と思ってググってみたらありました。「国道5号 八雲町 野田追跨線橋の損傷について」の函館開建のPOFです。今年の3月のはじめになんらかの事故があったようです。事故を喜ぶのも変ですが、2001年のままの橋だといいなぁなんて思ってしまいました(汗)。
 落部インターの入り口を過ぎて落部地区へ入ります。川は落部川、橋は「落部橋」。秋深まり行く頃にこの橋を通る機会があれば、ちょっと車を止めて橋を渡ってみます。鮭がのぼります。それも大量の鮭が。さすがに鮭の上を歩いて渡れる・・と言うほどではないですし、北海道の河川に鮭が遡上するのは珍しくもありませんが西日を背にして、のぼる鮭達をなんか目を奪われたようにしばらく見ていました。2001年はこのあと4回この落部橋のそばで休憩を取りました。今も変わらずあって欲しいものだと思います。
 先に進み森町との境(カントリーサイン)にタッチして。引き返して「おぼこ荘」を目指しました。そこで一箇所見落としを発見。「野田追橋」を過ぎて「山越跨線橋」です。ここをカメラに収めて目的地へむかいました。

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2016年11月16日

野田追橋

2001年9月28日の橋巡り③
 「八雲跨線橋」を過ぎると国道は海沿いの道を進む。田園地帯と言うよりも街道沿いという感じで、橋は「奥津内橋」「浜松橋」「酒屋川橋」と続きます。そして野田生地区に入っていきます。野田追川に架かる「野田追橋」を渡ります。以前は野田生地区を過ぎて橋を渡り野田追地区に入っていくという感じだったようですが、なんとも紛らわしく、JR駅が野田生駅ということで野田追地区が東野地区に名前が変わり野田追は橋名と川名に残った様だ。この橋は1997(平成9)年に架け替えの予定の直前、折からの集中豪雨により落橋した。道南の物流は大きくを日本海を回らなければいけなくなり道内を大混乱にさせた。今は高速道路が延びたのでよほどの大災害でもない限りこのような事態には陥ることは無い。

野田追橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


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2016年11月15日

鷲の巣跨線橋

2001年9月28日の橋巡り②
 八雲町花浦地区を通過。まったくのどかな田園地帯で「花浦橋」を渡る。この次が「鷲の巣跨線橋」である。以前は近くに鷲の巣駅があったが今年(2016年3月)廃駅となり信号場となった。乗降客の減少に伴うと言うことらしい。
 この跨線橋を過ぎると市街地に入っていく、沿道には商業施設などが並んでくる。昼間は交通量もそこそこなのだが、夜ともなればついスピードが出てしまう区間である。ニュース等で八雲町の交通事故の報道があると、この気持ちの良い道路を思い出してしまう。「新鷲の巣橋」「八雲大橋」「新端の巣別橋」「八雲跨線橋」、の間は要注意、注意一秒怪我一生である(今でも言うのかな?)地図で見ると「新端の巣別橋」のそばにローソンがあるようだが、以前はパチンコ屋があった様で、あの時点で営業していなかった可能性があるのだがさすがに15年はずいぶん昔の様だ。

鷲の巣跨線橋
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


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2016年11月14日

流古津橋

2001年9月28日の橋巡り①
 3週間ぶりに橋めぐりに出ました。何故か?たぶん天気が悪かったのでしょう。
 この日の目的地は道南八雲町の温泉おぼこ荘です。まずは橋巡りです。国道5号線を長万部町の境から森町の境まで走ってみました。「流古津橋」から始まります。次は「黒岩跨線橋」「白糠橋」「山崎橋」「緑雲橋」と続きます。内浦湾に沿うように進む国道は幾つもの川をわたっています。

流古津橋

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