2016年11月02日
蛇の目橋
2001年8月3日の橋巡り④
「番屋の沢橋」をカメラに収めたあと、目指す目的地は小平町道の駅「鰊番屋」。ここは私の故郷余市の番屋をさらにでかくした感じで、ちょっとスケールが違います。しばし滞在、じっくりと当時の遺物に見入ってしまいました。海側にある公園から歴史を垣間見て潮風に吹かれました。
次の橋が「蛇の目橋」、なんとも粋な橋名です。河川名も蛇の目の沢川で名前の由来もわかりませんが、昔大きく栄えた場所には妙に不思議な名前がつけられた橋があります。アイヌ語地名からの当て字なのか、昔の名残なのかわかりませんが、ちょっと想像の翼(妄想とも言うが・・)が広がっていく楽しみがあります。さて、続けての橋は「小椴子橋」、次は大椴子川に架かる「真砂橋」。このあたりは椴松(とど松)多いのでしょうかが
何故か小平町はここまで、きっと夕暮れ時だったのでしょう。もう少しで終われそうな気もしたのですが、この日はそそくさと小平町を後にして向かったのが北竜町道の駅「サンフラワー北竜」。この日2度目の温泉に浸かり車中泊、翌朝気持ちよく目覚めて北竜町と雨竜町境界の「恵岱別橋」、雨竜町新十津川町境界の「尾白利加橋」をカメラに収め大急ぎで国道275号線を札幌に向けて走りました。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
「番屋の沢橋」をカメラに収めたあと、目指す目的地は小平町道の駅「鰊番屋」。ここは私の故郷余市の番屋をさらにでかくした感じで、ちょっとスケールが違います。しばし滞在、じっくりと当時の遺物に見入ってしまいました。海側にある公園から歴史を垣間見て潮風に吹かれました。
次の橋が「蛇の目橋」、なんとも粋な橋名です。河川名も蛇の目の沢川で名前の由来もわかりませんが、昔大きく栄えた場所には妙に不思議な名前がつけられた橋があります。アイヌ語地名からの当て字なのか、昔の名残なのかわかりませんが、ちょっと想像の翼(妄想とも言うが・・)が広がっていく楽しみがあります。さて、続けての橋は「小椴子橋」、次は大椴子川に架かる「真砂橋」。このあたりは椴松(とど松)多いのでしょうかが
何故か小平町はここまで、きっと夕暮れ時だったのでしょう。もう少しで終われそうな気もしたのですが、この日はそそくさと小平町を後にして向かったのが北竜町道の駅「サンフラワー北竜」。この日2度目の温泉に浸かり車中泊、翌朝気持ちよく目覚めて北竜町と雨竜町境界の「恵岱別橋」、雨竜町新十津川町境界の「尾白利加橋」をカメラに収め大急ぎで国道275号線を札幌に向けて走りました。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2016年11月01日
港橋
2001年8月3日の橋巡り③
「境橋」を過ぎると小平町鬼鹿に入ります。日本海を右側に見ながらのドライブです。左側はと言うと小高い丘が延々と連なり、大きな地すべりが起こったような急峻な崖が少ないので、何万年かの昔ゆっくりと海と陸が分かれた様に思われてなかなか良い感じです。この海沿いに昔は鰊漁の番屋や作業場が並び豊かな海だったのでしょう。
所々に河川が海に流れ込んでおり、小さい流れは橋ではなく暗渠として道を繋ぎます。出会ったのが「茶俊内橋」、「千松橋」、「御種子橋」、ちょっと賑やかになって「港橋」、過ぎるとまたゆっくりと時間が流れるような海岸線です。そして「番屋の沢橋」があります。この橋の架かるのが番屋の沢川で、先に紹介した「力昼橋」も番屋の沢川で、お互いに水源が違うようなので、いかに豊かな海だったか想像されます。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
「境橋」を過ぎると小平町鬼鹿に入ります。日本海を右側に見ながらのドライブです。左側はと言うと小高い丘が延々と連なり、大きな地すべりが起こったような急峻な崖が少ないので、何万年かの昔ゆっくりと海と陸が分かれた様に思われてなかなか良い感じです。この海沿いに昔は鰊漁の番屋や作業場が並び豊かな海だったのでしょう。
所々に河川が海に流れ込んでおり、小さい流れは橋ではなく暗渠として道を繋ぎます。出会ったのが「茶俊内橋」、「千松橋」、「御種子橋」、ちょっと賑やかになって「港橋」、過ぎるとまたゆっくりと時間が流れるような海岸線です。そして「番屋の沢橋」があります。この橋の架かるのが番屋の沢川で、先に紹介した「力昼橋」も番屋の沢川で、お互いに水源が違うようなので、いかに豊かな海だったか想像されます。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2016年10月31日
力昼橋
2001年8月3日の橋巡り②
霧立国道からオロロンラインに戻って苫前町を南下、「稔橋」を過ぎて「上平新橋」、新橋があるのだから旧橋は?・・進むと出会うのが「上平橋」。同じ国道上で道を繋いでいるのだから、上平新橋は旧橋を架け替えた橋であろうと思われる。資料がないので不明だが次回の架け替え時は名称はどうなるのだろうか、なにせ「New bridge」って書いてあるしねえ。
続いて「沖見橋」、天売・焼尻が遠くに見えます。昔は鰊漁の船がたくさん行き交っていたのかもしれません。
そのまま南下。力昼地区にあるのが「力昼橋(りきびるはし)」、川は番屋の沢川。昔は番屋があって栄えていたのでしょう。ここを過ぎると「丸須橋」があるはず・・・なのですが、写真を時系列で並べると、力昼地区に間違いないようですが、あの頃のメモが無いので位置が確認できません。先に行きましょう。小高い丘のような崖が続くなか小平町との境界の「境橋」に出会います。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
霧立国道からオロロンラインに戻って苫前町を南下、「稔橋」を過ぎて「上平新橋」、新橋があるのだから旧橋は?・・進むと出会うのが「上平橋」。同じ国道上で道を繋いでいるのだから、上平新橋は旧橋を架け替えた橋であろうと思われる。資料がないので不明だが次回の架け替え時は名称はどうなるのだろうか、なにせ「New bridge」って書いてあるしねえ。
続いて「沖見橋」、天売・焼尻が遠くに見えます。昔は鰊漁の船がたくさん行き交っていたのかもしれません。
そのまま南下。力昼地区にあるのが「力昼橋(りきびるはし)」、川は番屋の沢川。昔は番屋があって栄えていたのでしょう。ここを過ぎると「丸須橋」があるはず・・・なのですが、写真を時系列で並べると、力昼地区に間違いないようですが、あの頃のメモが無いので位置が確認できません。先に行きましょう。小高い丘のような崖が続くなか小平町との境界の「境橋」に出会います。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2016年10月18日
羽幌橋
2001年8月3日の橋巡り①
今日は、苫前町と小平町を走っています。
目覚めたのが国道232号線沿いの「ほっと・羽幌」の駐車場。遅い目覚めで昼近かったので、まずはお湯に浸かる。羽幌温泉。すっかり目が覚めて、国道232号線に出て北に走ったのだが、温泉に満足したためか急遽南下。最初の橋が表題の「羽幌橋」。いくらも走らずにすぐ苫前町に入る。出会ったのが「中間橋」、「押白志橋」、しばらく走って市街地を通り抜けて「苫前橋」、渡ってすぐに左側に霧立国道の標識で左折してみる。・・・・・今日は峠は止めよう・・・とりあえず平坦な道を行こう。ということで、国道232号線に戻って「稔橋」。
メインページの地図の位置関係がおかしいので①はここまで。←修正します。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
今日は、苫前町と小平町を走っています。
目覚めたのが国道232号線沿いの「ほっと・羽幌」の駐車場。遅い目覚めで昼近かったので、まずはお湯に浸かる。羽幌温泉。すっかり目が覚めて、国道232号線に出て北に走ったのだが、温泉に満足したためか急遽南下。最初の橋が表題の「羽幌橋」。いくらも走らずにすぐ苫前町に入る。出会ったのが「中間橋」、「押白志橋」、しばらく走って市街地を通り抜けて「苫前橋」、渡ってすぐに左側に霧立国道の標識で左折してみる。・・・・・今日は峠は止めよう・・・とりあえず平坦な道を行こう。ということで、国道232号線に戻って「稔橋」。
メインページの地図の位置関係がおかしいので①はここまで。←修正します。
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2016年10月13日
礼受橋
20010713の橋巡り③
日の落ちる前に黄金岬をまわり、国道231号線に出た私は、日本海に沈み行く太陽を眺めながら「世多別橋」、「摩瀬橋」、と海沿いを浜に下りたりしながら札幌への途を進んでいった。少し行くと増毛町に入る留萌最後の橋「礼受橋」をカメラに収め、充分留萌を堪能して帰ることにした。
走る道々、もう暗くなっていたのだが、増毛岩尾温泉「夕陽荘」にて入浴している。2001年当時の夕陽荘で、日も落ちて暗かったのだがゆっくり温泉を楽しみ、どこかで寝ちゃうかなぁと思いながら、街灯の少ない増毛-浜益-厚田の道を緊張しながら走り帰った。もう、15年も前の話である。
*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
日の落ちる前に黄金岬をまわり、国道231号線に出た私は、日本海に沈み行く太陽を眺めながら「世多別橋」、「摩瀬橋」、と海沿いを浜に下りたりしながら札幌への途を進んでいった。少し行くと増毛町に入る留萌最後の橋「礼受橋」をカメラに収め、充分留萌を堪能して帰ることにした。
走る道々、もう暗くなっていたのだが、増毛岩尾温泉「夕陽荘」にて入浴している。2001年当時の夕陽荘で、日も落ちて暗かったのだがゆっくり温泉を楽しみ、どこかで寝ちゃうかなぁと思いながら、街灯の少ない増毛-浜益-厚田の道を緊張しながら走り帰った。もう、15年も前の話である。
*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2016年10月12日
橘橋
20010713の橋巡り②
美馬牛峠を越えて北竜町に入って最初に出会う橋が「沼の沢川橋」。あまりの天気の良さに写真を撮り終えてしばし休憩。で、考えた・・・・国道233号線を急ぎ足で通り過ぎたような気がするなぁ・・と。遠くに見える高速留萌道が完成したら尚更国道を通る機会が減るのだし、戻ってみようかと思い直して再び峠を越えた。
あの頃はオホーツクや道北まで車を走らすと、帰りに旭川までたどり着くと、あっ!戻ってきたなと思ったもので、札幌-旭川間はほとんど地元感覚、それほど高速道路大好き人間だった。なんかもったいないよね。このときは峠を戻り、ゆっくり留萌川沿いの道をたどる気になった。そして最初の橋が「橘橋」、続いて「樽真布橋」、「幌糠橋」、「御料橋」、「神社橋」、「潮静橋」ときて国道233号線をゆっくり留萌市内まで戻り着いた。市の街中を散歩したり食事を取ったり。夏の一日は長くて、千望台まで上がったり黄金岬を回ってみたりして楽しく過ごすことが出来た。
*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
美馬牛峠を越えて北竜町に入って最初に出会う橋が「沼の沢川橋」。あまりの天気の良さに写真を撮り終えてしばし休憩。で、考えた・・・・国道233号線を急ぎ足で通り過ぎたような気がするなぁ・・と。遠くに見える高速留萌道が完成したら尚更国道を通る機会が減るのだし、戻ってみようかと思い直して再び峠を越えた。
あの頃はオホーツクや道北まで車を走らすと、帰りに旭川までたどり着くと、あっ!戻ってきたなと思ったもので、札幌-旭川間はほとんど地元感覚、それほど高速道路大好き人間だった。なんかもったいないよね。このときは峠を戻り、ゆっくり留萌川沿いの道をたどる気になった。そして最初の橋が「橘橋」、続いて「樽真布橋」、「幌糠橋」、「御料橋」、「神社橋」、「潮静橋」ときて国道233号線をゆっくり留萌市内まで戻り着いた。市の街中を散歩したり食事を取ったり。夏の一日は長くて、千望台まで上がったり黄金岬を回ってみたりして楽しく過ごすことが出来た。
*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2016年10月11日
臼谷橋
20010713の橋巡り①
2001年7月13日、あまりの暑さに目覚めたのが小平町臼谷海水浴場駐車場。気温29度、でも海水浴場には誰も居なかった気がする。そんな海水浴場の傍を流れる臼谷の沢に架かる国道232号線の橋が「臼谷橋」。
特に目的地があった訳ではなくて、札幌から国道231号線を北に向かったにすぎない。慣れない道で気を使い、増毛町・留萌市を通って力尽きたというさまだ。まずは海の水で顔を洗って目を覚まし。小平町には数百メートルしか踏み込まずに留萌方面に戻ることにした。留萌市に入ってすぐ「豊田朱内橋」、そのまま進んで留萌川に架かる「栄萌橋」を渡って国道232号線とお別れ。
国道233号線北竜町方面へむかう、このま美葉牛峠を越えようかと思ったが、「紅葉橋」まできてスピードダウン。「十五線橋」、「不二橋」と写真を撮って峠を越えた。
*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2001年7月13日、あまりの暑さに目覚めたのが小平町臼谷海水浴場駐車場。気温29度、でも海水浴場には誰も居なかった気がする。そんな海水浴場の傍を流れる臼谷の沢に架かる国道232号線の橋が「臼谷橋」。
特に目的地があった訳ではなくて、札幌から国道231号線を北に向かったにすぎない。慣れない道で気を使い、増毛町・留萌市を通って力尽きたというさまだ。まずは海の水で顔を洗って目を覚まし。小平町には数百メートルしか踏み込まずに留萌方面に戻ることにした。留萌市に入ってすぐ「豊田朱内橋」、そのまま進んで留萌川に架かる「栄萌橋」を渡って国道232号線とお別れ。
国道233号線北竜町方面へむかう、このま美葉牛峠を越えようかと思ったが、「紅葉橋」まできてスピードダウン。「十五線橋」、「不二橋」と写真を撮って峠を越えた。
*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
2012年01月21日
2012年01月20日
蛇の目橋
2001年8月3日国道232号線南下中
蛇の目橋(小平町)
道の駅「鰊番屋」を過ぎて更に南下。鬼鹿秀浦にて
※サムネイル写真をクリックすると大きな写真になります。
赤字の橋名をクリックするとその橋のサイトに飛びます。
蛇の目橋(小平町)
道の駅「鰊番屋」を過ぎて更に南下。鬼鹿秀浦にて
※サムネイル写真をクリックすると大きな写真になります。
赤字の橋名をクリックするとその橋のサイトに飛びます。
2012年01月19日
番屋の沢橋
2001年の橋巡りからのUPです
既に10年以上の歳月が過ぎています。今と全く変わっているかも(変わっていないかも・・・(-_-;))
2001年8月3日国道232号線を羽幌町から南下中
番屋の沢橋(小平町)
2012年始まっています。今年もよろしくおねがいします。
既に10年以上の歳月が過ぎています。今と全く変わっているかも(変わっていないかも・・・(-_-;))
2001年8月3日国道232号線を羽幌町から南下中
番屋の沢橋(小平町)
2012年始まっています。今年もよろしくおねがいします。
2011年10月15日
境橋
2001年8月3日の続きです。
この日羽幌町「羽幌橋」をスタートし、国道232号線を南下しました。苫前町前回の続きの以下の橋に出会いました。
「沖見橋」
「力昼橋」
「丸須橋」
「境橋」
この橋で苫前町ともお別れです。次回は小平町の海岸線に入ります。
この日羽幌町「羽幌橋」をスタートし、国道232号線を南下しました。苫前町前回の続きの以下の橋に出会いました。
「沖見橋」
「力昼橋」
「丸須橋」
「境橋」
この橋で苫前町ともお別れです。次回は小平町の海岸線に入ります。
2011年10月02日
上平橋
前回の書き込みが6月29日
今回が・・・たぶん10月2日・・随分ずぼらな・・
先ごろ検索をかけてみた
キーワードは「北海道の橋」!
いろいろなサイトがあるなぁと眺めると、上位に自分で作成してだらだらと更新しているサイトが顔を出している。
本サイトの「北海道の橋・国道編」、サブサイトとして「北海道の橋・国道以外編」、そして「北海道の橋・ブログ編」などなど。
ここまで検索にキャッチされると、責任重大と感じるなぁ。がんばらなきゃねぇ
でも、体調良くないんです(ホントです・・苦笑)
さて、2001年8月3日分の続き、国道232号線を南下した様で、苫前町「上平橋」です。
前回(だいぶん前ですが)「羽幌橋」からスタートしたこの日。以下の橋をたどりました。
「中間橋」
「押白志橋」
「苫前橋」
「稔橋」
「上平新橋」
写真を並べ直すと、もっと突っ込んで調べたいのです。
なんと言っても10年前ですからねぇ。今どうなっているのでしょうか
「上平橋」を標題にもってきたのは、写真にもあるとおり、風力発電の風車が印象的だったからです。
次回の橋に続くということで。なお、地図は省略しました。リンクからの本サイトにあります。
今回が・・・たぶん10月2日・・随分ずぼらな・・
先ごろ検索をかけてみた
キーワードは「北海道の橋」!
いろいろなサイトがあるなぁと眺めると、上位に自分で作成してだらだらと更新しているサイトが顔を出している。
本サイトの「北海道の橋・国道編」、サブサイトとして「北海道の橋・国道以外編」、そして「北海道の橋・ブログ編」などなど。
ここまで検索にキャッチされると、責任重大と感じるなぁ。がんばらなきゃねぇ
でも、体調良くないんです(ホントです・・苦笑)
さて、2001年8月3日分の続き、国道232号線を南下した様で、苫前町「上平橋」です。
前回(だいぶん前ですが)「羽幌橋」からスタートしたこの日。以下の橋をたどりました。
「中間橋」
「押白志橋」
「苫前橋」
「稔橋」
「上平新橋」
写真を並べ直すと、もっと突っ込んで調べたいのです。
なんと言っても10年前ですからねぇ。今どうなっているのでしょうか
「上平橋」を標題にもってきたのは、写真にもあるとおり、風力発電の風車が印象的だったからです。
次回の橋に続くということで。なお、地図は省略しました。リンクからの本サイトにあります。
2011年03月26日
羽幌橋
震災で多くの人たちが亡くなりました
とても無念で悔しく歯軋りする思いです
自分に何が出来るかをこの2週間余り考えましたが
いまがんばっている被災者に精一杯の手助けを
亡くなられた方たちに対しては自分に出来る最高の敬意と哀悼を
言葉が足りません すいません
一日も早くみんなに笑顔が戻りますように
2001年の8月3日分の更新を開始しました
既に10年以上も前になりました
写真を時系列で並べてみると、羽幌町の道の駅から始まりました
夜半に札幌を出て、この道の駅で仮眠をとったのでしょう
前回道南へ向かって今回北へ向かった理由は今ではわかりません
地図ではもうひとっ走りすると「羽幌大橋」があるのに採録されていません
まずは「羽幌橋」から南下するようです
続きを読む
とても無念で悔しく歯軋りする思いです
自分に何が出来るかをこの2週間余り考えましたが
いまがんばっている被災者に精一杯の手助けを
亡くなられた方たちに対しては自分に出来る最高の敬意と哀悼を
言葉が足りません すいません
一日も早くみんなに笑顔が戻りますように
2001年の8月3日分の更新を開始しました
既に10年以上も前になりました
写真を時系列で並べてみると、羽幌町の道の駅から始まりました
夜半に札幌を出て、この道の駅で仮眠をとったのでしょう
前回道南へ向かって今回北へ向かった理由は今ではわかりません
地図ではもうひとっ走りすると「羽幌大橋」があるのに採録されていません
まずは「羽幌橋」から南下するようです
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