さぽろぐ

日記・一般  |札幌市中央区

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2016年11月16日

野田追橋

2001年9月28日の橋巡り③
 「八雲跨線橋」を過ぎると国道は海沿いの道を進む。田園地帯と言うよりも街道沿いという感じで、橋は「奥津内橋」「浜松橋」「酒屋川橋」と続きます。そして野田生地区に入っていきます。野田追川に架かる「野田追橋」を渡ります。以前は野田生地区を過ぎて橋を渡り野田追地区に入っていくという感じだったようですが、なんとも紛らわしく、JR駅が野田生駅ということで野田追地区が東野地区に名前が変わり野田追は橋名と川名に残った様だ。この橋は1997(平成9)年に架け替えの予定の直前、折からの集中豪雨により落橋した。道南の物流は大きくを日本海を回らなければいけなくなり道内を大混乱にさせた。今は高速道路が延びたのでよほどの大災害でもない限りこのような事態には陥ることは無い。

野田追橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月15日

鷲の巣跨線橋

2001年9月28日の橋巡り②
 八雲町花浦地区を通過。まったくのどかな田園地帯で「花浦橋」を渡る。この次が「鷲の巣跨線橋」である。以前は近くに鷲の巣駅があったが今年(2016年3月)廃駅となり信号場となった。乗降客の減少に伴うと言うことらしい。
 この跨線橋を過ぎると市街地に入っていく、沿道には商業施設などが並んでくる。昼間は交通量もそこそこなのだが、夜ともなればついスピードが出てしまう区間である。ニュース等で八雲町の交通事故の報道があると、この気持ちの良い道路を思い出してしまう。「新鷲の巣橋」「八雲大橋」「新端の巣別橋」「八雲跨線橋」、の間は要注意、注意一秒怪我一生である(今でも言うのかな?)地図で見ると「新端の巣別橋」のそばにローソンがあるようだが、以前はパチンコ屋があった様で、あの時点で営業していなかった可能性があるのだがさすがに15年はずいぶん昔の様だ。

鷲の巣跨線橋
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月14日

流古津橋

2001年9月28日の橋巡り①
 3週間ぶりに橋めぐりに出ました。何故か?たぶん天気が悪かったのでしょう。
 この日の目的地は道南八雲町の温泉おぼこ荘です。まずは橋巡りです。国道5号線を長万部町の境から森町の境まで走ってみました。「流古津橋」から始まります。次は「黒岩跨線橋」「白糠橋」「山崎橋」「緑雲橋」と続きます。内浦湾に沿うように進む国道は幾つもの川をわたっています。

流古津橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月13日

風連橋

2001年9月7日の橋巡り
 風連町は今は名寄市となっています。10年前に合併しました。
 以前雨竜沼湿原を訪れたときに風連町から来られた方とご一緒に登山道を登らせていただきました。その時の話の中に「観光の人に風蓮湖は何処ですかとよく尋ねられる」と笑って話しておられました。それ以来なんとなく気になっていたのですが、この日行ってみることにしたんです。国道40号線を帰ってきた記憶があるのですが、どこを通って行ったものかとんと記憶がありません。デジカメでは士別市との境「新寄合橋」から突然の様に始まっています。さすがにはくちょうもち米の産地だけあって周囲は金色の稲穂が広がっています。国道を北上すればこの稲穂の実る風景は無くなっていきます。続いて「小風連橋」「風連橋」と続いて少し行くと名寄市との境を過ぎます。そのまま進み天塩川に架かる「名寄大橋」をカメラに収めこの日は終了です。

風連橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月12日

静内橋

2001年8月24日の橋巡り③
 この日の橋は実は19箇所カメラの中に残っている。昨日の「湯の川橋」のあと「有勢内橋」「静波橋」「静内橋」「古川橋」とカメラに収め静内町内でうろうろしているうちに見落としが気になって三石温泉まで戻っているのだ。ゆっくり見ながら撮影した橋が更に6箇所あるのだが。これらの橋の資料の紛失と整理の失敗で、また行けばいいさぁ・・・なんて思っているうちに年月が過ぎてしまった。なんか今となってはとても勿体無くて、今のスマホの様に位置情報だけでも写真に残されていれば少しはなんとかなるのになぁと思ってしまう。表題の「静内橋」の夕景の写真もどういう流れで撮ったのかよく思い出せない(涙) 

静内橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。


  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)日高の橋

2016年11月11日

薊橋

2001年8月24日の橋巡り②
 この日は、日高路の国道235号線新ひだか町をぶらぶらしています。
 当時は旧三石町と旧静内町です。よく晴れたお盆も過ぎた8月の後半です。三石町で3箇所の橋をカメラに収め、残りは静内町です。元静内橋は昨日紹介しました。今日はその続き東静内の「薊(あざみ)橋」「捫別橋」「有良橋」「湯の川橋」を続けて写真に撮りました。薊橋で名前の由来を、捫別橋でもこの字をあてた由来をそれぞれ探しましたがまったく不明。有良橋で自衛隊の射撃訓練中という表示におびえて足早に通り過ぎてしまい、今考えると「有良(うら)橋」だったかも・・・と思ったり、湯の川橋で何処が湯の川なのだろうときょろきょろしているところを、近づいてきた牧場の馬に胡散臭そうな視線をおくられたりと、やたら楽しく過ごしていたようなきがします。

薊橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)日高の橋

2016年11月10日

鳧舞橋

2001年8月24日の橋巡り①
 表題の橋「鳧舞橋」の読み方。難読橋名ですねぇ。「けりまい橋」です。日高地方新ひだか町の三石地区にあるケリマイ川に架かる橋です。
 この日目覚めたのが道の駅三石。晩夏の青い空と陽射しの中で目が覚めました。目的地は無かったような気がします。仕事を終えて日高方面にむかい、眠くなったので道の駅で寝たというところでしょうか。まずは三石温泉で湯浴みです。お盆も過ぎてよい天気ににもかかわらず海辺に人は居ませんでした。ゆっくり札幌へ戻りましょう。橋の写真を撮りながら・・・。
 まずは表題の「鳧舞橋」「三石橋」、三石漁港そばの「姨布橋(おばふはし」、ここまでが旧三石町。本町には昆布屋さんがいっぱい、昆布と牧場の町でした。続いて旧静内町に入ります。日高地方は川が多くその川の周りには牧場と草を食む馬がやたら目に付きます。最初に「布辻橋(ぶしばし)」、そして「元静内橋」と続きまます。

鳧舞橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)日高の橋

2016年11月08日

流星橋

2001年8月11日の橋巡り①
 8月10日に南富良野町から富良野市の市街地手前まで国道38号線を走りました。富良野市で夕食を取った後、更に国道を札幌方面に向かいます。隣の芦別市に入って、突然予定を変更です。そういえば国道452号線に芦別温泉があったなぁ・・・と、駅前の通りを右に曲がります。ずんずん行きます。目的地到着!と、何処かの高校の合宿の大きな縦看板が、それを見て気力が萎えました。そのまま2度目の車中泊突入です。
 翌朝早く目覚めました。ここまで来たのだからカナディアンワールドの向こう、通行止めのところまで行ってみましょうと、たどり着きましたが途中橋がありません。営業を終了したカナディアンワールド(今は公園)を外から眺め、戻るとあったのが「流星橋」でした。続いて「睦橋」「如月橋」「弥生橋」、と続きます。中でも「弥生橋」は竣工年?が昭和30年と古い橋で、2001年時点で46年目なのでさすがに架け替えられているでしょう。 次は「卯月橋」かと思ったのですが違いました。橋名をクリックすると画像が出ます。

流星橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)空知の橋

2016年11月07日

布礼別橋

2001年8月10日の橋巡り⑤
 12線川まで着いた。地名にはいろいろな由来があるが、この「線」のついた地名は何故だろうか?と、ググってみたらありました。なにやら入植当時の行政区画の名残らしい。12線川は12線地区を流れる川ということらしい。13線地区を流れる川がなかったので13線川は無いのである。とりあえずちょっと薀蓄でした。調べた先はここです。
 さて、次は「富布橋」、これは10線川。続いて、「布部大橋」で空知川を渡ります。地図で見ると富良野市街までもう少しと言う感じです。次は「布部橋」、この橋を渡りちょっと行くと麓郷方面へ右折する道がありますが、この日の観光にはちよっと時間が遅かった。そのまま市街地を目指します。次は「布礼別橋」をカメラに収めます。ここでは、川で釣をしている人が居て、何が釣れるのかぼ~っと見てました(暇人ですねぇ)。
 布礼別橋
翌日は夜勤ということで、まだまだ時間があったのですが、富良野市はこれで終わり。何をするにも、少しでも札幌に近づいた方が良いだろうと移動です。

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月06日

12線川橋(仮)

2001年8月10日の橋巡り④
 「山部大橋」を恐々カメラに収めた後、しばし空知川と別れ、左岸一帯を進みます。まず「勇振川橋(ゆうふりかわばし」で、架かる川が「勇振川(ゆうふれがわ」。なんか工事をしていた覚えがあります、うろ覚え手ですが。行き交う人が多いのか歩道橋があります。
 ここでひと休み、ほとんど運転してるだけなのですが、眠気がさしたので30分ほど仮眠しました。
 道は続きます。すぐに「山部跨線橋」を越えます。富良野市の平野部をすいすい走ります。幾つかの川があります。15線川に架かる「山空橋」、14線川に架かる「幸栄橋」、13線川は無くて次は12線川です、この川には橋ではなく函渠が道を繋ぎます。で、せっかく写真撮ったんで「12線川橋(仮)」としてみました。
12線川橋(仮)
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月05日

山部大橋

2001年8月10日の橋巡り③
 「留下橋」、「古潭橋」と国道38号線を山沿いに走ると左手に空知川が現れる。
 信号のある交差点で国道237号線に左折してみることにした。直ぐに「下金山橋」で空知川を渡る事になる、次の橋を確認するまで行こう・・・。けっこう走ったような気もするが、ありました「白銀橋」、とりあえず目的達成ということで本線(国道38号線)に戻ります。
 戻って最初の橋が「水松橋(OnkoBridge)」、河川名がオンコ沢川なのでオンコ=水松という命名らしい。どうやらアイヌ語地名から付けられた橋名ではない様だが、オンコ-いちい-水松と言う発想はわからなくもないが、走る車のの中から「オンコ橋」とは読めないと思う。
 熊注意の看板に恐れをなして先を進めると空知川に架かる「山部大橋」と出会う。この橋には歩道が無かった(路側帯さえ無かった)。橋は一応渡ってみることにしているのだが、車の皆さんけっこう早くておそるおそる往復した(長かった)。今はどうなのだろうか。

山部大橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。




  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月04日

紅橋

2001年8月10日の橋巡り②
 既に16年余りの時間が経過している、記憶が定かではないの仕方のないことなのだろう。
 うねうねと続く富良野市の森沿いの国道38号線を、札幌に向けて車で走っているのだが、橋ごとに車を止めて写真を撮って何を思い何を考えていたんだろうか?手元の写真からその場に居たことは確かなのだがよく思い出せないのが悲しい。デジカメというのはありがたいもので、撮った時間が画像と伴に保存されている。ちょっとの時間のものがあると思えば、妙に長い間その場に留まっていることがある。なぜだろうと、必死に記憶の中を探ってみるのだが・・・・不思議だ。さて「清水橋」を過ぎて「唐沢橋」「千登勢橋」、そして「紅橋」。・・・続いて「東山大橋」「留下橋」とカメラに収めた。

紅橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月03日

松川橋

2001年8月10日の橋巡り①
 この日のスタートは南富良野町道の駅「南ふらの」。いつも通りに前夜仕事を終えると国道12号線から三笠経由で富良野入り、国道38号線を南富良野まで一気に走りぬけた。この道の駅は、車に乗り始めた頃の道の駅スタンプラリーの最終チェックポイント。懐かしい気持ちいっぱいで目覚めた。
 夏の盛り、天気も上々。これからゆっくり橋を探しながら戻る趣向だ。国道38号線に出て最初の橋が、今年の秋の台風でながされた「太平橋」、進むと樹海峠のちょっと手前で森へ続く道があり、あまり訪れる人もないのか獣道を進むとちょっとした展望設備があった。登るとあたり一面の森で、そんなに高くもないのに大自然の真っ只中に居る気分になれた。今はどうなのだろう、地図を探しても見当たらない。
 国道に戻り峠を越えると富良野市。まずは西達布川に架かる「曲水橋」、この川はこのあと何度か渡ることになる、そのあと「松川橋」「熊の沢橋」「清水橋」と続く。今地図を見ると大分見落としていることに気づく。

松川橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月02日

蛇の目橋

2001年8月3日の橋巡り④
 「番屋の沢橋」をカメラに収めたあと、目指す目的地は小平町道の駅「鰊番屋」。ここは私の故郷余市の番屋をさらにでかくした感じで、ちょっとスケールが違います。しばし滞在、じっくりと当時の遺物に見入ってしまいました。海側にある公園から歴史を垣間見て潮風に吹かれました。
 次の橋が「蛇の目橋」、なんとも粋な橋名です。河川名も蛇の目の沢川で名前の由来もわかりませんが、昔大きく栄えた場所には妙に不思議な名前がつけられた橋があります。アイヌ語地名からの当て字なのか、昔の名残なのかわかりませんが、ちょっと想像の翼(妄想とも言うが・・)が広がっていく楽しみがあります。さて、続けての橋は「小椴子橋」、次は大椴子川に架かる「真砂橋」。このあたりは椴松(とど松)多いのでしょうかが
 何故か小平町はここまで、きっと夕暮れ時だったのでしょう。もう少しで終われそうな気もしたのですが、この日はそそくさと小平町を後にして向かったのが北竜町道の駅「サンフラワー北竜」。この日2度目の温泉に浸かり車中泊、翌朝気持ちよく目覚めて北竜町と雨竜町境界の「恵岱別橋」、雨竜町新十津川町境界の「尾白利加橋」をカメラに収め大急ぎで国道275号線を札幌に向けて走りました。

蛇の目橋


文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋空知の橋

2016年11月01日

港橋

2001年8月3日の橋巡り③
 「境橋」を過ぎると小平町鬼鹿に入ります。日本海を右側に見ながらのドライブです。左側はと言うと小高い丘が延々と連なり、大きな地すべりが起こったような急峻な崖が少ないので、何万年かの昔ゆっくりと海と陸が分かれた様に思われてなかなか良い感じです。この海沿いに昔は鰊漁の番屋や作業場が並び豊かな海だったのでしょう。
 所々に河川が海に流れ込んでおり、小さい流れは橋ではなく暗渠として道を繋ぎます。出会ったのが「茶俊内橋」「千松橋」「御種子橋」、ちょっと賑やかになって「港橋」、過ぎるとまたゆっくりと時間が流れるような海岸線です。そして「番屋の沢橋」があります。この橋の架かるのが番屋の沢川で、先に紹介した「力昼橋」も番屋の沢川で、お互いに水源が違うようなので、いかに豊かな海だったか想像されます。
港橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋

2016年10月31日

力昼橋

2001年8月3日の橋巡り②
 霧立国道からオロロンラインに戻って苫前町を南下、「稔橋」を過ぎて「上平新橋」、新橋があるのだから旧橋は?・・進むと出会うのが「上平橋」。同じ国道上で道を繋いでいるのだから、上平新橋は旧橋を架け替えた橋であろうと思われる。資料がないので不明だが次回の架け替え時は名称はどうなるのだろうか、なにせ「New bridge」って書いてあるしねえ。
 続いて「沖見橋」、天売・焼尻が遠くに見えます。昔は鰊漁の船がたくさん行き交っていたのかもしれません。
 力昼橋
 そのまま南下。力昼地区にあるのが「力昼橋(りきびるはし)」、川は番屋の沢川。昔は番屋があって栄えていたのでしょう。ここを過ぎると「丸須橋」があるはず・・・なのですが、写真を時系列で並べると、力昼地区に間違いないようですが、あの頃のメモが無いので位置が確認できません。先に行きましょう。小高い丘のような崖が続くなか小平町との境界の「境橋」に出会います。

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋

2016年10月18日

羽幌橋

2001年8月3日の橋巡り①
 今日は、苫前町と小平町を走っています。
 目覚めたのが国道232号線沿いの「ほっと・羽幌」の駐車場。遅い目覚めで昼近かったので、まずはお湯に浸かる。羽幌温泉。すっかり目が覚めて、国道232号線に出て北に走ったのだが、温泉に満足したためか急遽南下。最初の橋が表題の「羽幌橋」。いくらも走らずにすぐ苫前町に入る。出会ったのが「中間橋」「押白志橋」、しばらく走って市街地を通り抜けて「苫前橋」、渡ってすぐに左側に霧立国道の標識で左折してみる。・・・・・今日は峠は止めよう・・・とりあえず平坦な道を行こう。ということで、国道232号線に戻って「稔橋」
 メインページの地図の位置関係がおかしいので①はここまで。←修正します。

羽幌橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。


  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋

2016年10月17日

相沼内橋

010720の橋巡り④
 国道229号線は続きます。次の「見市橋」の手前で、雲石峠を越えて八雲町に出る道があります。国道277号線です。左に折れて帰るかなぁ・・・とちょっと考えましたが、続行です。続いて「人住内橋」、ここでちょっと下を向いたら。あわびのマンホールの蓋です。先に行きましょう。「大沢橋」を過ぎて「冷水橋」「相沼内橋」、昔アイヌの人たちの集落がここ在ったんだなぁと・・熊石町を終えました。
  トンネルを抜けて乙部町に入りました。が、ここで体に異変発生です。「お腹が痛いよ~~~~」「痛いよ~~~」(涙)・・・冷たいものとおやつの食べすぎ。そして、天気もよく気温も高く窓全開の海岸線ドライブ。過労も少し、体が冷え切った様です。乙部町内の薬店で薬を買い求め、戻って道の駅で休憩を取りました。少し良くなったので、とりあえず国道229号線終点まで行って、あとはゆっくり帰ろうと厚沢部町へ。乙部町は薬屋さんと道の駅に立ち寄っただけで通過してしまいました。カメラを持ちながら橋の写真が1箇所も無かっためずらしい町です。また来るだろう思いながら16年経ってしまいました。まだ1箇所も紹介できません。残念です。
 厚沢部に着いたら、安心したのかお湯に浸かりたくなって、国道227号線沿いの「江差温泉」へ。出ると元気回復、まだ陽も高い、ということで国道を南下「椴川橋」、続いて上ノ国町「北村橋」、上の国町道の駅で日本海の日没を見ました。とても綺麗でした。さすがに日も暮れだして、帰途につきました。500キロ以上走りました、翌週は大人しくしてました。

相沼内橋


*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)檜山の橋

2016年10月16日

新荷菱内橋

010720の橋巡り③
 「潮橋」が日本海に架かると言うことで、樺太-宗谷に架かる橋とか対馬に-韓国に架かる橋とか・・・妙に感動してしまったけど、札幌を出てから半日しか経って居ない事に気づき、先を進めます。
 すぐ出会うのが貝取間川に架かる「白泉橋」。あわび山荘であわび食べたいなぁなんて考えながら先へ、続いて「横間橋」「華磯橋」、そして「新荷菱内橋」と続きます。
 この橋、橋から滝が見えるらしいのですが、ちょっと遠くて確認できず。夫婦岩の方に目がいきます。ここで大成町(現せたな町)の橋ともお別れ。続いて旧熊石町(現八雲町)に入ります。入ってすぐに関内漁港そばの「ポンモシリ橋」を渡ります。続いて「関内橋」「逆川橋」、お寺の横を流れる川ですが、逆に流れているようにみえるためらしい。南西沖地震のときはどこまでさかのぼったのでしょうか、続いて「平田内橋」、また温泉とあわびがおいでおいでしていますが、国道229号線は続きます。つづく・・らしい。

新荷菱内橋

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Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)檜山の橋

2016年10月15日

潮橋

010720の橋巡り②
 旧北檜山町から峠を越えて旧大成町へ向かっています(今は同じせたな町です)。いくつもの沢があって、それを渡っていくのでちょっと走っては橋・・また橋と続きます。
 前回の「金ヶ沢橋」からの続きです。「三本股橋」「丸山橋」「青山橋」、そして次の橋が見えてきた頃看板が出てきます。「臼別温泉」です。温泉もいいなぁと、左折してしまいました。なにせず~~~~~っと走りっぱなしです。ちょいとひと休みしましょ、と国道を逸れたのはいいがここから長かった。で、着いてみれば「ただ今清掃中」とありました(涙)。金曜日の午前中は清掃時間のようでしばし待ちます。ほんのひと休みのつもりがけっこう待って、、入浴。道南が誇る秘湯です。小さいですが野趣あふれて、機会があれば再訪したいですね。
 さて、国道に戻って橋巡り再開です。続くのが「太櫓越橋」、ここから海にむかって降りていきます。途中小さく「冷水川橋」、海に出てすぐ「臼別橋」「たきのさわ橋」(北海道南西沖地震のあとに作られた水門があります)、貝取間温泉に行く道の手前に今日のお題「潮橋」です。この橋小さな橋です。橋から覗くと下に、磯舟が揚げてありました。つまり、この橋は川や沢に架かっているのではなく「日本海」(ちょっとですけど)に架けられた橋なんです。...つづく。

潮橋

*文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)檜山の橋