さぽろぐ

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2016年11月20日

砂原跨線橋

2001年10月12日のうろうろ②
 地図を眺めるのが好きである。道があって川があるから橋が架かっているだろう。道と線路が交差している様だから跨線橋があるだろう。ちょっと行ってみるかと出かける。橋や跨線橋がある場合は勿論多いのだが、函渠となっていて橋ではない場合もある。あるにはあっても名前も川名も無い事も多い。橋は面白い、橋は不思議だ。生活の中で当たり前になりすぎて、つい忘れる。
 さて、「下中の川橋」を確認したあとJR線と交差する「森川跨線橋」を越え尾白内川に架かる「上尾白内橋」を渡る。下流に道々があるからきっと下尾白内橋があるのだろう。今思うと確認しておけばよかったかなとも思う。ちょっと行くとまた跨線橋と出会う「砂原跨線橋」である、あの頃の国道はここで森町と砂原町を分けていた様だ。それぞれのたもとにカントリーサインが在り、懐かしい旧砂原町のカントリーサインが見える。

砂原跨線橋


文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。




  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月18日

上姫川橋

2001年10月5日の橋巡り
 前回の八雲町の続きで、森町。
 国道5号線を途中まで進みました。まず、海沿いを走る国道とJRせんとの交差がいくつかある。最初は「石倉跨線橋」、続いて濁川温泉に続く道に曲がる手前に「濁川橋」。そしてまたJR線と交差する「蛯谷跨線橋」がある。
 ここを過ぎると道の駅の手前に「上鳥崎橋」、この先で砂原へ向かうか函館へ進むか迷ったがそのまま5号線を進みます。そこからあったのが「上中の川橋」。上ということで下はあるのかな・・・と思ったらありました。これは次回に先送り、さて次がJRの秘境駅としてテレビでやっていた姫川駅の近く「上姫川橋」、国内初の工法で渡された橋であるとそばに小さい碑があったのですが、全く読めませんでした。先に進むと駒ケ岳駅のそばに「精進橋」があります。

上姫川橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月17日

落部橋

2001年9月28日の橋巡り④
 落部橋
「野田追橋」を渡って東野地区に入ります。もう野田追の地名は橋と川だけになったかと思っていると、もうひとつありました。「野田追跨線橋」です、もしかしてもう無いか・・・と思ってググってみたらありました。「国道5号 八雲町 野田追跨線橋の損傷について」の函館開建のPOFです。今年の3月のはじめになんらかの事故があったようです。事故を喜ぶのも変ですが、2001年のままの橋だといいなぁなんて思ってしまいました(汗)。
 落部インターの入り口を過ぎて落部地区へ入ります。川は落部川、橋は「落部橋」。秋深まり行く頃にこの橋を通る機会があれば、ちょっと車を止めて橋を渡ってみます。鮭がのぼります。それも大量の鮭が。さすがに鮭の上を歩いて渡れる・・と言うほどではないですし、北海道の河川に鮭が遡上するのは珍しくもありませんが西日を背にして、のぼる鮭達をなんか目を奪われたようにしばらく見ていました。2001年はこのあと4回この落部橋のそばで休憩を取りました。今も変わらずあって欲しいものだと思います。
 先に進み森町との境(カントリーサイン)にタッチして。引き返して「おぼこ荘」を目指しました。そこで一箇所見落としを発見。「野田追橋」を過ぎて「山越跨線橋」です。ここをカメラに収めて目的地へむかいました。

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月16日

野田追橋

2001年9月28日の橋巡り③
 「八雲跨線橋」を過ぎると国道は海沿いの道を進む。田園地帯と言うよりも街道沿いという感じで、橋は「奥津内橋」「浜松橋」「酒屋川橋」と続きます。そして野田生地区に入っていきます。野田追川に架かる「野田追橋」を渡ります。以前は野田生地区を過ぎて橋を渡り野田追地区に入っていくという感じだったようですが、なんとも紛らわしく、JR駅が野田生駅ということで野田追地区が東野地区に名前が変わり野田追は橋名と川名に残った様だ。この橋は1997(平成9)年に架け替えの予定の直前、折からの集中豪雨により落橋した。道南の物流は大きくを日本海を回らなければいけなくなり道内を大混乱にさせた。今は高速道路が延びたのでよほどの大災害でもない限りこのような事態には陥ることは無い。

野田追橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月15日

鷲の巣跨線橋

2001年9月28日の橋巡り②
 八雲町花浦地区を通過。まったくのどかな田園地帯で「花浦橋」を渡る。この次が「鷲の巣跨線橋」である。以前は近くに鷲の巣駅があったが今年(2016年3月)廃駅となり信号場となった。乗降客の減少に伴うと言うことらしい。
 この跨線橋を過ぎると市街地に入っていく、沿道には商業施設などが並んでくる。昼間は交通量もそこそこなのだが、夜ともなればついスピードが出てしまう区間である。ニュース等で八雲町の交通事故の報道があると、この気持ちの良い道路を思い出してしまう。「新鷲の巣橋」「八雲大橋」「新端の巣別橋」「八雲跨線橋」、の間は要注意、注意一秒怪我一生である(今でも言うのかな?)地図で見ると「新端の巣別橋」のそばにローソンがあるようだが、以前はパチンコ屋があった様で、あの時点で営業していなかった可能性があるのだがさすがに15年はずいぶん昔の様だ。

鷲の巣跨線橋
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月14日

流古津橋

2001年9月28日の橋巡り①
 3週間ぶりに橋めぐりに出ました。何故か?たぶん天気が悪かったのでしょう。
 この日の目的地は道南八雲町の温泉おぼこ荘です。まずは橋巡りです。国道5号線を長万部町の境から森町の境まで走ってみました。「流古津橋」から始まります。次は「黒岩跨線橋」「白糠橋」「山崎橋」「緑雲橋」と続きます。内浦湾に沿うように進む国道は幾つもの川をわたっています。

流古津橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)渡島の橋

2016年11月13日

風連橋

2001年9月7日の橋巡り
 風連町は今は名寄市となっています。10年前に合併しました。
 以前雨竜沼湿原を訪れたときに風連町から来られた方とご一緒に登山道を登らせていただきました。その時の話の中に「観光の人に風蓮湖は何処ですかとよく尋ねられる」と笑って話しておられました。それ以来なんとなく気になっていたのですが、この日行ってみることにしたんです。国道40号線を帰ってきた記憶があるのですが、どこを通って行ったものかとんと記憶がありません。デジカメでは士別市との境「新寄合橋」から突然の様に始まっています。さすがにはくちょうもち米の産地だけあって周囲は金色の稲穂が広がっています。国道を北上すればこの稲穂の実る風景は無くなっていきます。続いて「小風連橋」「風連橋」と続いて少し行くと名寄市との境を過ぎます。そのまま進み天塩川に架かる「名寄大橋」をカメラに収めこの日は終了です。

風連橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月12日

静内橋

2001年8月24日の橋巡り③
 この日の橋は実は19箇所カメラの中に残っている。昨日の「湯の川橋」のあと「有勢内橋」「静波橋」「静内橋」「古川橋」とカメラに収め静内町内でうろうろしているうちに見落としが気になって三石温泉まで戻っているのだ。ゆっくり見ながら撮影した橋が更に6箇所あるのだが。これらの橋の資料の紛失と整理の失敗で、また行けばいいさぁ・・・なんて思っているうちに年月が過ぎてしまった。なんか今となってはとても勿体無くて、今のスマホの様に位置情報だけでも写真に残されていれば少しはなんとかなるのになぁと思ってしまう。表題の「静内橋」の夕景の写真もどういう流れで撮ったのかよく思い出せない(涙) 

静内橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。


  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)日高の橋

2016年11月11日

薊橋

2001年8月24日の橋巡り②
 この日は、日高路の国道235号線新ひだか町をぶらぶらしています。
 当時は旧三石町と旧静内町です。よく晴れたお盆も過ぎた8月の後半です。三石町で3箇所の橋をカメラに収め、残りは静内町です。元静内橋は昨日紹介しました。今日はその続き東静内の「薊(あざみ)橋」「捫別橋」「有良橋」「湯の川橋」を続けて写真に撮りました。薊橋で名前の由来を、捫別橋でもこの字をあてた由来をそれぞれ探しましたがまったく不明。有良橋で自衛隊の射撃訓練中という表示におびえて足早に通り過ぎてしまい、今考えると「有良(うら)橋」だったかも・・・と思ったり、湯の川橋で何処が湯の川なのだろうときょろきょろしているところを、近づいてきた牧場の馬に胡散臭そうな視線をおくられたりと、やたら楽しく過ごしていたようなきがします。

薊橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)日高の橋

2016年11月10日

鳧舞橋

2001年8月24日の橋巡り①
 表題の橋「鳧舞橋」の読み方。難読橋名ですねぇ。「けりまい橋」です。日高地方新ひだか町の三石地区にあるケリマイ川に架かる橋です。
 この日目覚めたのが道の駅三石。晩夏の青い空と陽射しの中で目が覚めました。目的地は無かったような気がします。仕事を終えて日高方面にむかい、眠くなったので道の駅で寝たというところでしょうか。まずは三石温泉で湯浴みです。お盆も過ぎてよい天気ににもかかわらず海辺に人は居ませんでした。ゆっくり札幌へ戻りましょう。橋の写真を撮りながら・・・。
 まずは表題の「鳧舞橋」「三石橋」、三石漁港そばの「姨布橋(おばふはし」、ここまでが旧三石町。本町には昆布屋さんがいっぱい、昆布と牧場の町でした。続いて旧静内町に入ります。日高地方は川が多くその川の周りには牧場と草を食む馬がやたら目に付きます。最初に「布辻橋(ぶしばし)」、そして「元静内橋」と続きまます。

鳧舞橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)日高の橋

2016年11月09日

旭橋(歩道橋)

2001年8月11日の橋巡り②
 睦月、如月、弥生、と橋名が続きました。さぁ次は卯月かと思えば、ひとつ飛ばして「皐月橋」でした。もしかすると見落としがあるかもしれませんが・・、この「皐月橋」も古い、昭和31年竣工とあります。高欄は付け替えられていますが、親柱はぼろぼろになって尚健在という感じです。次の橋は、空知川を渡る「旭橋」でした。あのころは渡れましたが今はありません。そばにある「旭橋歩道橋」から写真を撮りました。さすがに昭和28年竣工の橋で長い風雪の時を経た趣があります。今は下流に架かる「星の降る里大橋」が道を繋いでいます。さて、歩道橋はどうなったんでしょうか。ネットを探すと撤去に関する説明会のPDFがありました。今は?
 国道38号線に戻り札幌へ戻りましょう。芦別市と赤平市の境にあったのが「梅朝橋」、そのまま国道を進み滝川市で国道12号線に入ります。その滝川バイパスにあったのが「新空知大橋」。このあと空知川は石狩川と合流し、私は札幌へむけての帰路に着きます。
旭橋(歩道橋)
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)空知の橋

2016年11月08日

流星橋

2001年8月11日の橋巡り①
 8月10日に南富良野町から富良野市の市街地手前まで国道38号線を走りました。富良野市で夕食を取った後、更に国道を札幌方面に向かいます。隣の芦別市に入って、突然予定を変更です。そういえば国道452号線に芦別温泉があったなぁ・・・と、駅前の通りを右に曲がります。ずんずん行きます。目的地到着!と、何処かの高校の合宿の大きな縦看板が、それを見て気力が萎えました。そのまま2度目の車中泊突入です。
 翌朝早く目覚めました。ここまで来たのだからカナディアンワールドの向こう、通行止めのところまで行ってみましょうと、たどり着きましたが途中橋がありません。営業を終了したカナディアンワールド(今は公園)を外から眺め、戻るとあったのが「流星橋」でした。続いて「睦橋」「如月橋」「弥生橋」、と続きます。中でも「弥生橋」は竣工年?が昭和30年と古い橋で、2001年時点で46年目なのでさすがに架け替えられているでしょう。 次は「卯月橋」かと思ったのですが違いました。橋名をクリックすると画像が出ます。

流星橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。

  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)空知の橋

2016年11月07日

布礼別橋

2001年8月10日の橋巡り⑤
 12線川まで着いた。地名にはいろいろな由来があるが、この「線」のついた地名は何故だろうか?と、ググってみたらありました。なにやら入植当時の行政区画の名残らしい。12線川は12線地区を流れる川ということらしい。13線地区を流れる川がなかったので13線川は無いのである。とりあえずちょっと薀蓄でした。調べた先はここです。
 さて、次は「富布橋」、これは10線川。続いて、「布部大橋」で空知川を渡ります。地図で見ると富良野市街までもう少しと言う感じです。次は「布部橋」、この橋を渡りちょっと行くと麓郷方面へ右折する道がありますが、この日の観光にはちよっと時間が遅かった。そのまま市街地を目指します。次は「布礼別橋」をカメラに収めます。ここでは、川で釣をしている人が居て、何が釣れるのかぼ~っと見てました(暇人ですねぇ)。
 布礼別橋
翌日は夜勤ということで、まだまだ時間があったのですが、富良野市はこれで終わり。何をするにも、少しでも札幌に近づいた方が良いだろうと移動です。

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月06日

12線川橋(仮)

2001年8月10日の橋巡り④
 「山部大橋」を恐々カメラに収めた後、しばし空知川と別れ、左岸一帯を進みます。まず「勇振川橋(ゆうふりかわばし」で、架かる川が「勇振川(ゆうふれがわ」。なんか工事をしていた覚えがあります、うろ覚え手ですが。行き交う人が多いのか歩道橋があります。
 ここでひと休み、ほとんど運転してるだけなのですが、眠気がさしたので30分ほど仮眠しました。
 道は続きます。すぐに「山部跨線橋」を越えます。富良野市の平野部をすいすい走ります。幾つかの川があります。15線川に架かる「山空橋」、14線川に架かる「幸栄橋」、13線川は無くて次は12線川です、この川には橋ではなく函渠が道を繋ぎます。で、せっかく写真撮ったんで「12線川橋(仮)」としてみました。
12線川橋(仮)
文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月05日

山部大橋

2001年8月10日の橋巡り③
 「留下橋」、「古潭橋」と国道38号線を山沿いに走ると左手に空知川が現れる。
 信号のある交差点で国道237号線に左折してみることにした。直ぐに「下金山橋」で空知川を渡る事になる、次の橋を確認するまで行こう・・・。けっこう走ったような気もするが、ありました「白銀橋」、とりあえず目的達成ということで本線(国道38号線)に戻ります。
 戻って最初の橋が「水松橋(OnkoBridge)」、河川名がオンコ沢川なのでオンコ=水松という命名らしい。どうやらアイヌ語地名から付けられた橋名ではない様だが、オンコ-いちい-水松と言う発想はわからなくもないが、走る車のの中から「オンコ橋」とは読めないと思う。
 熊注意の看板に恐れをなして先を進めると空知川に架かる「山部大橋」と出会う。この橋には歩道が無かった(路側帯さえ無かった)。橋は一応渡ってみることにしているのだが、車の皆さんけっこう早くておそるおそる往復した(長かった)。今はどうなのだろうか。

山部大橋

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。




  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月04日

紅橋

2001年8月10日の橋巡り②
 既に16年余りの時間が経過している、記憶が定かではないの仕方のないことなのだろう。
 うねうねと続く富良野市の森沿いの国道38号線を、札幌に向けて車で走っているのだが、橋ごとに車を止めて写真を撮って何を思い何を考えていたんだろうか?手元の写真からその場に居たことは確かなのだがよく思い出せないのが悲しい。デジカメというのはありがたいもので、撮った時間が画像と伴に保存されている。ちょっとの時間のものがあると思えば、妙に長い間その場に留まっていることがある。なぜだろうと、必死に記憶の中を探ってみるのだが・・・・不思議だ。さて「清水橋」を過ぎて「唐沢橋」「千登勢橋」、そして「紅橋」。・・・続いて「東山大橋」「留下橋」とカメラに収めた。

紅橋

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Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月03日

松川橋

2001年8月10日の橋巡り①
 この日のスタートは南富良野町道の駅「南ふらの」。いつも通りに前夜仕事を終えると国道12号線から三笠経由で富良野入り、国道38号線を南富良野まで一気に走りぬけた。この道の駅は、車に乗り始めた頃の道の駅スタンプラリーの最終チェックポイント。懐かしい気持ちいっぱいで目覚めた。
 夏の盛り、天気も上々。これからゆっくり橋を探しながら戻る趣向だ。国道38号線に出て最初の橋が、今年の秋の台風でながされた「太平橋」、進むと樹海峠のちょっと手前で森へ続く道があり、あまり訪れる人もないのか獣道を進むとちょっとした展望設備があった。登るとあたり一面の森で、そんなに高くもないのに大自然の真っ只中に居る気分になれた。今はどうなのだろう、地図を探しても見当たらない。
 国道に戻り峠を越えると富良野市。まずは西達布川に架かる「曲水橋」、この川はこのあと何度か渡ることになる、そのあと「松川橋」「熊の沢橋」「清水橋」と続く。今地図を見ると大分見落としていることに気づく。

松川橋

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Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)上川の橋

2016年11月02日

蛇の目橋

2001年8月3日の橋巡り④
 「番屋の沢橋」をカメラに収めたあと、目指す目的地は小平町道の駅「鰊番屋」。ここは私の故郷余市の番屋をさらにでかくした感じで、ちょっとスケールが違います。しばし滞在、じっくりと当時の遺物に見入ってしまいました。海側にある公園から歴史を垣間見て潮風に吹かれました。
 次の橋が「蛇の目橋」、なんとも粋な橋名です。河川名も蛇の目の沢川で名前の由来もわかりませんが、昔大きく栄えた場所には妙に不思議な名前がつけられた橋があります。アイヌ語地名からの当て字なのか、昔の名残なのかわかりませんが、ちょっと想像の翼(妄想とも言うが・・)が広がっていく楽しみがあります。さて、続けての橋は「小椴子橋」、次は大椴子川に架かる「真砂橋」。このあたりは椴松(とど松)多いのでしょうかが
 何故か小平町はここまで、きっと夕暮れ時だったのでしょう。もう少しで終われそうな気もしたのですが、この日はそそくさと小平町を後にして向かったのが北竜町道の駅「サンフラワー北竜」。この日2度目の温泉に浸かり車中泊、翌朝気持ちよく目覚めて北竜町と雨竜町境界の「恵岱別橋」、雨竜町新十津川町境界の「尾白利加橋」をカメラに収め大急ぎで国道275号線を札幌に向けて走りました。

蛇の目橋


文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。
  


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋空知の橋

2016年11月01日

港橋

2001年8月3日の橋巡り③
 「境橋」を過ぎると小平町鬼鹿に入ります。日本海を右側に見ながらのドライブです。左側はと言うと小高い丘が延々と連なり、大きな地すべりが起こったような急峻な崖が少ないので、何万年かの昔ゆっくりと海と陸が分かれた様に思われてなかなか良い感じです。この海沿いに昔は鰊漁の番屋や作業場が並び豊かな海だったのでしょう。
 所々に河川が海に流れ込んでおり、小さい流れは橋ではなく暗渠として道を繋ぎます。出会ったのが「茶俊内橋」「千松橋」「御種子橋」、ちょっと賑やかになって「港橋」、過ぎるとまたゆっくりと時間が流れるような海岸線です。そして「番屋の沢橋」があります。この橋の架かるのが番屋の沢川で、先に紹介した「力昼橋」も番屋の沢川で、お互いに水源が違うようなので、いかに豊かな海だったか想像されます。
港橋

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Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋

2016年10月31日

力昼橋

2001年8月3日の橋巡り②
 霧立国道からオロロンラインに戻って苫前町を南下、「稔橋」を過ぎて「上平新橋」、新橋があるのだから旧橋は?・・進むと出会うのが「上平橋」。同じ国道上で道を繋いでいるのだから、上平新橋は旧橋を架け替えた橋であろうと思われる。資料がないので不明だが次回の架け替え時は名称はどうなるのだろうか、なにせ「New bridge」って書いてあるしねえ。
 続いて「沖見橋」、天売・焼尻が遠くに見えます。昔は鰊漁の船がたくさん行き交っていたのかもしれません。
 力昼橋
 そのまま南下。力昼地区にあるのが「力昼橋(りきびるはし)」、川は番屋の沢川。昔は番屋があって栄えていたのでしょう。ここを過ぎると「丸須橋」があるはず・・・なのですが、写真を時系列で並べると、力昼地区に間違いないようですが、あの頃のメモが無いので位置が確認できません。先に行きましょう。小高い丘のような崖が続くなか小平町との境界の「境橋」に出会います。

文中の橋はあくまで2001年当時の写真です現状とは違うかもしれません。ご注意ください。   


Posted by haruitiban at 07:00Comments(0)留萌の橋